第六十四段 ~逢わぬ恋~

 昔、男、みそかに語らふわざもせざりければ、いづくなりけむ、あやしさによめる、
 吹く風にわが身をなさば玉すだれひま求めつつ入るべきものを
返し、
 とりとめぬ風にはありとも玉すだれたが許さばかひま求むべき

 昔、男が、こっそり二人きりで(「みそかに」)女と語り合うという行いもしなかったので(つまり、手紙のやり取りだけで実際には逢えなかったのである。)、どこに住んでいるのだろう(「いづくなりけむ」)〉と不思議になって詠んだ、
〈吹く風に私の身をするならば、あなたの部屋の美しい御簾の隙間(「ひま」)を探し求めては何度でも(「つつ」)、そこから入ることができますものを。〉
女の返し、
〈取り押さえ留めることができない風であっても、玉すだれは、誰かが許せば隙間を求めることができるでしょう。でも、許す人はいません。(お逢いすることはありません。)〉
 女には何らかの事情で逢えない訳があったのだろう。しかし、こうした手紙のやり取りを止めたくはなかった。これなら、満たされもしないが、長く続けることができるから。男もそれに従うしかない。実際に逢うことがない恋もある。

コメント

  1. すいわ より:

    女はやんごとない立場の人なのでしょうか、そもそも手紙のやり取りはどのように始まったのでしょう?受け渡しもどうしていたのでしょう。まるで月に帰ったかぐや姫と便りを交わしているよう。
    泉鏡花の『外科室』を思い浮かべました。ただ一度、すれ違ったお互いが一瞬にして恋に落ち、双方ともその事を知らず、月日は経ち、思わぬ再会を果たしますが、この段の二人は名前はおろか姿さえも知らないのですよね。それでもお互いの気持ちは通じ合っている。ヒトらしい恋の形なのでしょう。目の前に見えていなくても、見えないからこそ、見えるものもありますね。お互いを思う時間はより長くなりますね。

    • 山川 信一 より:

      泉鏡花の『外科室』を連想されましたか?なるほど、こんな恋もありますね。逆に、泉鏡花は、この段にヒントを得たのかもしれませんね。
      逢わない方がよくわかることもあるますね。ちょうど、ある感覚が失われると、別の感覚が発達するように。
      逢うとかえって、肝心のものがわからなくなることだってあるかもしれません。

  2. みのり より:

    私、このお話、好きです。
    こんな高尚な恋もあるのですね。
    実際に逢うことはもう永遠にないかもしれないけれど、
    それでもあなたが好きだから、手紙のやり取りだけでも、
    それだけでも幸せなのですという気持ちなのではないかと思いました。

    • 山川 信一 より:

      プロセスこそ恋、逢うという目的を果たすためにするものではない。
      そう考えれば、これも立派な恋ですね。確かに高尚な恋です。

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