第五十二段 ~時節の贈り物~

 昔、男ありけり。人のもとよりかざりちまきおこせたりける返りごとに、
 あやめ刈り君は沼にぞまどひける我は野にいでて狩るぞわびしき
とて、雉をなむやりける。

 前段に引き続き、贈り物の話。「かざりちまき」は、色々の糸や笹などでもち米を巻いたもので、端午の節句に食べる。
 童謡『背くらべ』にある「柱のきずは おととしの 五月五日の 背くらべ ちまきたべたべ 兄さんが 計ってくれた 背のたけ」のそれ。菖蒲の葉でも巻いたらしい。
 女がそれを送ってきたことへのお礼に詠んだ、
〈あなたはちまきを巻くアヤメを刈りに沼に難儀しました(「まどひける」)。私は野に出て雉を狩ることで途方にくれます(「わびしき」)。お互いにこの季節は苦労しますね。あなたのお思いは伝わりました。私は今でもあなたを思っています。〉
と言って、雉を贈ってやった。
あやめ」は歌語である。実際はちまきを巻いた菖蒲のことである。女は「」とあるから、少し疎遠な関係にあったのだろう。そこで、時節を考え、「かざりちまき」を作って、思いを届けたのである。料理は、相手の心を捉えるにはとても効果的である。女はそのことをちゃんと心得ていたのだ。
 だから、男は、女の贈り物の背後の事情を酌んで歌と贈り物で応えたのである。贈り物はこうありたい。単に高価な物を贈るのでは心が伝わらない。

コメント

  1. すいわ より:

    いつのまにか間遠になってしまった人への贈り物、いきなり送り付けるのも気が引ける、節句に事寄せれば、相手も受け取りやすいかもしれない。菖蒲は厄除けにもなるし、彼の人へ安寧の気持ちを込めて、、。
    いつのまにか離れてしまった貴女、同じ「かる」でも、別々の事をしていたのだね、貴女が沼に足を取られているというのに、私は野で他のものを狩っていた。逢えない訳だ。せめてもの品、受け取って下さい。
    男は返礼の品に「君」と返歌していますね。またきっと、逢う事が叶いますね。

    • 山川 信一 より:

      そうですね。地の文では「人」と書かれていたのに、歌では「君」に替わっています。
      かざりちまきは、男の心をとらえたようです。やはり、料理は何よりの贈り物です。

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