昔、男、ねむごろに、いかでと思ふ女ありけり。されどこの男を、あだなりと聞きて、つれなさのみまさりつついへる。
大幣の引く手あまたになりぬれば思へどえこそ頼まざりけれ
返し、男、
大幣と名にこそ立てれ流れてもつひによる瀬はありといふものを
男は、心を込めて(「ねむごろに」)、なんとかして手に入れたい(「いかで」の下に
〈得む〉が省略されている。)と思う女がいた。しかし、女はこの男を浮気性で頼りにならない(「あだなり」)と聞いていて、(男が言い寄っても)冷たい態度ばかりがますますつのりながら言った。
〈大幣(「大幣」は〈祓へ〉の時用いる捧げ物。終わると参列者が皆で引いて、自らの汚れを移し、川に流す。)のように女性たちから思われ(「引く手あまた」)ているので、あなたを思うけれど、とても頼りにすることはできません。〉
男が返す。
〈私は大幣と評判になっていますが(「名こそ立てれ」)、幣は流れて終いには流れ着く瀬はあると言いますのに。私は大幣じゃないので、どこに流れ着いていいのかわかりません。あなた以外に流れ着く瀬はありません。私が惹かれているのはあなただけですよ。〉
女は、その気がないわけではないけれど、男の浮気性が気になっていた。だから、歌を贈って釘を刺したのだ。男はそのたとえを巧みに使って、女の気を引こうとする。恋は、駆け引きである。
コメント
大幣って神主さんがお祓いをするときに持つ棒の先にひらひらの紙が沢山付いたものですか?お祓いの後、それぞれが、あのひらひらを持ち帰って、人型流しのように川に流すのですね?
皆が手を伸ばし手に入れようとする大幣、そんなに皆の気を引くような人とは安心して付き合えない、という女の歌に、男はもてることを否定しない。「私は確かに大幣のように川面に浮いて流れるように、浮名を流していますよ。でも、どんなにもてたって、自分が思いを寄せる人に振り向いてもらえないのでは意味がない。大幣ですら流れ着く瀬があるというのに」と。私は対となって寄る背は貴女がいいのだけれど、というところでしょうか。
アイドルから告白を受けるようなもの、なのでしょうね。女も悪い気はしないでしょう。もれなく嫉妬の嵐付き。でも、男にこの歌を詠せるために歌を送ったのなら、女にとって嫉妬のおまけなど、はなから問題にならないのでしょう。
大幣は、それの大きいのです。何メートルもあるのもあったようです。
すいわさんの解釈だと開き直っているようですが、私は男が自分は大幣ではないと否定していると取りました。「名こそ立てれ」は以下に逆接で続くからです。続いて「幣は流れて終いには流れ着く瀬はあると言いますのに。」と言います。
これは、言外に「私は大幣じゃないので、どこに流れ着いていいのかわかりません。あなた以外に流れ着く瀬はありません。私が惹かれているのはあなただけですよ。」という含みがあります。
大幣、そんなに大きな物とは思いませんでした。飾り祀る感じのものなのですね。
「名こそ立てれ」のすぐあとから逆接、ですね。「流れても」のあとから逆接ととってしまっていました。景色が全く変わってしまいます。より含みの深い歌になって、呼び水を向けられた女は引き込まれてしまいますね。
この時代はどのくらいの大きさだったかはわかりませんが、今はかなり大きいのもあるようです。
男はあくまであなただけを主張します。しかし、実際は女が言うとおりだったのでしょう。
女は男の浮気が心配で不安なのですね。
でも、こんな風に返されたら、やっぱり嬉しくてクラッとしちゃいますねえ。
先生、実際は女が言うとおりだったのでしょうか(^ ^)
たぶん、男は女が思っているとおりだったようです。「いかでと思ふ女ありけり」と言っています。
ここから、そこまでは思わない女もいたことが予想されます。
男は色好みなので、引く手あまただったのでしょう。
きっとこの女も落としましたね。