第三段 ~恋は貧しくとも~

 昔、男ありけり。懸想じける女のもとに、ひじき藻といふものをやるとて、
思ひあらばむぐらの宿に寝もしなむひじきものには袖をしつつも
 二条の后の、まだ帝にも仕うまつりたまはで、ただ人にておはしましける時のことなり。

懸想じける」(=思いを掛ける・恋をする)とある。男の思いを具体的に表現している。たとえば、ぼんやりと〈思ひける〉などとは言っていない。更に言えば、「懸想じける」がなくて「女のもとに」だけでも意味はわかる。なぜそう書いたのか。また、なぜ男は「ひじき藻」をプレゼントしたのか。なるほど、ひじきは、海の物であるから、海から離れた京では貴重品であったに違いない。しかし、それでも恋の贈り物にしては無粋である。「ひじき藻」は実用品・食料である。男がひじき藻を贈ったのは、女に喜んでもらえると思ったからである。つまり、女が貧しかったである。貧しい女には有り難いプレゼントだったのだ。「懸想じける」と敢えて書いたのは、男の恋心を強調し、「ひじき藻」とのギャップを感じさせ、この恋の特殊性を印象づけるためである。
 歌も女の貧しさを踏まえたものになっている。「むぐらの宿」(=荒れ果てた貧しい家)とあるのは、女が貧しい暮らしをしていたからだ。歌の意はこうである。
〈もしあなたが私を愛してくれるなら、荒れ果てた家に寝もしましょう(「寝もしなむ」)。敷物には袖を敷いても〉
ひじきもの」は、「ひじき藻」を掛けて、〈引き敷物〉の意を表す。
 次の文は、解説である。その女が後の「二条の后」であると言う。当時この女が貧しかったことを印象づけている。「ただ人」の頃はこんな状態だったのだと。人生の意外性を伝えてもいる。男は、女が貧しくても恋をした。当時は、妻の財力が物を言った時代である。男がいかに純粋に恋をしたかを表している。
 この段を表現に即して解せれば以上のようになる。しかし、いくら何でも後に二条の后になる女がこれほど貧しいとは考えにくい。むしろ、その後、帝に仕えるのだから、名門の出であり、男よりも裕福であったろう。ならば、これは裕福な女への一種の皮肉であろう。男は、「自分は「ひじき藻」しか贈れません。私は貧しいのです。でも、恋とはこういうものですよね。貧富の差が何ですか。だから、貧しい私と恋をしましょう。」と言うのだ。
 そして、作者は、「思ひあらばむぐらの宿に寝もしなむひじきものには袖をしつつも」こそが恋なのだ、生まれも育ちも違う男女が恋のみで結びつく、それでいいのだと教えている。

コメント

  1. すいわ より:

    侘び暮らしの人が後に后にと言うのが何となく現実味がないとは思ったのですが、なるほど、裕福な人への皮肉とは!面白いですね。
    でも、こう書けるのは、きっと書き手が男だから、なのでしょう。本人同士が良くても、女の身分の低い場合、桐壺の女御のような状態になるのは必至、女は恐ろしい。本当のシンデレラストーリーは砂糖菓子だけではできていませんね

    • 山川 信一 より:

      男にせよ、女にせよ、何らかの制約の中で生きています。恋は、それにどう立ち向かうかという冒険です。
      持てるすべてを賭けた冒険。恋に生きる価値を見いだせれば・・・。

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