彼人々は余が倶《とも》に麦酒《ビイル》の杯をも挙げず、球突きの棒《キユウ》をも取らぬを、かたくななる心と慾を制する力とに帰して、且《かつ》は嘲《あざけ》り且は嫉《ねた》みたりけん。されどこは余を知らねばなり。嗚呼、此故よしは、我身だに知らざりしを、怎《いか》でか人に知らるべき。わが心はかの合歓《ねむ》といふ木の葉に似て、物触《さや》れば縮みて避けんとす。我心は処女に似たり。余が幼き頃より長者の教を守りて、学《まなび》の道をたどりしも、仕《つかへ》の道をあゆみしも、皆な勇気ありて能《よ》くしたるにあらず、耐忍勉強の力と見えしも、皆な自ら欺き、人をさへ欺きつるにて、人のたどらせたる道を、唯《た》だ一条《ひとすぢ》にたどりしのみ。余所に心の乱れざりしは、外物を棄てゝ顧みぬ程の勇気ありしにあらず、唯《たゞ》外物に恐れて自らわが手足を縛せしのみ。故郷を立ちいづる前にも、我が有為の人物なることを疑はず、又我心の能く耐へんことをも深く信じたりき。嗚呼、彼も一時。舟の横浜を離るるまでは、天晴《あつぱれ》豪傑と思ひし身も、せきあへぬ涙に手巾《しゆきん》を濡らしつるを我れ乍《なが》ら怪しと思ひしが、これぞなか/\に我本性なりける。此心は生れながらにやありけん、又早く父を失ひて母の手に育てられしによりてや生じけん。
「留学生仲間から疎まれた理由は、付き合いが悪いからみたい。豊太郎が酒にも玉突きにも付き合わないから。彼らは、その理由を融通の利かなさと自制心からだと思って、嘲ったり妬んだりしたんだ。でも、それをなんで嘲ったり妬んだりするの?」
「嘲るのは、自分の殻に閉じこもって人生の楽しみ方を知らないと思うからだね。妬むのは、自分たちにはない自制心を持っているからだよ。自分たちが遊んでいる間に勉強して出世しようと思っていると疑ってるんだよ。」
「自分たちと同じことをしていないと不安なんだ。こういう心理ってあるよね。トイレまで一緒に行かなくては友達じゃないって思う人がいるからね。根っこは一緒。」
「豊太郎の性格が語られる。豊太郎の心は、合歓の木や処女に似ている。要するに、臆病なんだ。これまで、学問をしてきたのも、真面目に務めてきたのも、勇気があったからできたのではない。耐え忍んで励む力と見えたのも、自分や他人を欺いて、人が辿らせた道をただただそのまま辿ってきただけだ。他のことに心が乱れなかったのも、他のことを積極的に避けようとしたからではなくて、それが怖くて手を出さなかっただけだ。日本を発つ前にも、自分が見込みのある人間だと疑わず、忍耐力があると信じていた。しかし、かりそめのことだった。船が横浜を離れるまでは、自分を素晴らしい豪傑だと思っていたこの身も、堪えられない涙にハンカチを濡らしてしまった。それを我ながら不思議に思っていたけれど、これこそかえって自分の本性だったのだろう。この心は生まれつきのものなのか、それとも幼くして父を亡くして母の手で育てられたために、生じたのだろうか。
ここでまた母が出てくるね。明治の頃に一人っ子なのは珍しいんじゃないのかな。生まれながらかどうかはわからないけど、一人っ子ということもあり、豊太郎は母の影響を全面に受けて育ったんだ。」
ここには、人による嘲り妬みの心理が書かれている。これは、今でも一般的なものだ。存在感のある人を中心にしてグループを作る。そして、少しでも変わったところのある、それも人のよさそうな人を馬鹿にしたり、いじったりする。いじめると問題になるから、その加減には気をつけながら。これも鷗外の日本人批判だ。今でも少しも変わっていない。進歩がないなあ。
性格というのは、どうやって作られるんだろう。身体がそうであるように、先天的な要素がないわけじゃないだろう。でも、心は何かによって後から生じるものだ。ならば、むしろ後天的な要素による影響の方が大きいと考えた方がいい。やはり、豊太郎の性格は、彼が思う通り、母に育てられたためだろう。母が望むことをしているうちにつまり、それに外れることはしないために、この性格になったのだ。とすると、鷗外は、母性の限界と父性の必要性を訴えているのだろう。今でも、父性の欠如が家庭教育の欠陥になっている。
コメント
母子、たった二人の閉じた世界に豊太郎は生きて来たのですね。母が豊太郎の世界の全て。父の不在によって、母の価値観以外の基準が介在する事なく来てしまった事が大きいですね。父母の考えが異なる事もあるはず、でも豊太郎はそうした衝突を見る事なく、母の教えに疑問を抱く事もない。まるで母のお人形。家以外の学校や習い事先で出会う他者からも普通なら影響を受けそうなものですが、一人っ子の豊太郎に対する母の執着は強いものだったのでしょう。外国に来て、日本の慣習からも母からも完全に切り離される事でやっと本来の自分自身の姿に気付かされ、動揺しているようにも見えます。性質はなかなか変わらないけれど、性格は後付けのもので変えていけるものだと思います。豊太郎もなりたい自分になれる筈ですが、自分でこうありたい、と選ぶという事は自分でそうする事に責任を負う必要も生じます。臆病な豊太郎、知ってしまった豊太郎、さて、どうあろうとする事でしょう。
豊太郎は、所謂マザコン男だったのです。鷗外は、その人物設定をしっかりしています。
その上で父性の必要性を暗示しています。
先生、豊太郎が横浜を離れるときに涙したことがよくわからなくて。
豪傑は泣いてはいけないのですか。
感無量で泣いたのかなあと思ったのですがもっと深いのですよね。
臆病な人生だった後悔ですか。
教えてください。
豊太郎が横浜を離れる時泣いたのは、日本から離れるのが、もっとはっきり言えば、母と離れるのが悲しかったからでしょう。
留学が決まった当座は、母と離れるのもそれほど悲しいとは思いませんでした。今こそ、立身出世のチャンスだ、傾いた家を再興しようと奮い立ちました。そんな自分を「豪傑」だと感じていたのです。
ところが、現実にいざ横浜を離れる時になると、知らないうちに泣いてしまい、涙が止まりません。なんで涙が止まらないのか自分でも不思議になります。
そこで、「ああそうか、この女々しい心こそが自分の本性なんだな。自分は「豪傑」なんかじゃなかったんだ。」と思ったのです。
腕に抱いて頭を撫でて「お家再興、立身出世」を呪いの呪文のように唱える母が目に浮かびます。時に突き放し、立ち上がるのを待つと言った父的厳しさという愛情を与えられなかった豊太郎はいつまでも従順な坊やだったのですね。それで二十五歳の反抗期。母恋しと泣く豊太郎、少年そのものですね。
母親の存在は大きいですね。こうした母親と息子は現代にもいます。
父親がいたとしても、その役割を果たさなければ、同じことです。
「お父さんのようにはなってはダメよ。」という母親さえいますから。
?「お父さんのようにはなってはダメよ。」そんなお父さんを選んだあなたのような人を連れ合いに選ばないようにしなくては!と思ってしまいましたが、母コピー息子はそうは思わないのでしょうね。結婚相手を選べない昔ならともかく、自分で選んでおいてそれはないですよね。
これは、どっちもどっちです。夫にも責任があります。妻をがっかりさせたり、放っておいたり、妻にとっての生き甲斐ではなくなってしまったからです。
妻は、もう母として生きるしかなくなります。自分の人生を子どもに懸けます。もちろん、夫をそうさせたのは妻なのですが・・・。