いや、そんな事はどうでもいい。己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、哀《かな》しく、切なく思っているだろう! 己が人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成った者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり人間でなくなって了う前に、一つ頼んで置きたいことがある。
美鈴の番だ。李徴のどんな一面が表れるかな?
「「いや、そんな事はどうでもいい。」と言っているけど、何が言いたいのかな?純子、わかる?」
「理屈はどうでもいい。その事実が自分にとって、恐しく、哀しく、切ないのだと言いたいんです。つまり、自分にとっては、理屈よりも気持ちが大事なんだって言いたいんです。」
「そうだね。だから、「どうでもいい」ことをまず言う必要があったんだ。」
「「どうでもいい」と言ってるけど、本当はどうでもよくないんだよね。これだって言いたかったんだ。じゃなかったら、初めから言わなければいい。言った上で、利用している。」
「原文では、「その方が、己はしあわせになれるだろう。」の「しあわせ」に傍点が振ってある。純子、なぜかな?」
「それが心からの幸せではないからです。その方がましという程度でしかないから。」
「そうだね。では、みんなにも聞くけど、なぜ人間の心がすっかり消えてしまうことが恐しく、哀しく、切ないの?」
「それは人間としての死を意味するからだよ。死ぬって、そういうことじゃない?その怖さは誰だって知っているよね。」
「ところが、「この気持ちは誰にもわからない」と言う。ここには、相反する心理が働いている。〈わかってもらい〉と〈誰にもわかるはずがない〉という心理。〈誰にもわかるはずがない〉と思うのなら、初めから言わなければいい。ここからどんなことがわかるかな?」
「李徴は袁傪に甘えているんだよ。とにかく同情してほしいんだ。でもさ、あたしも同じことを言ったことがあるな。「あたしの気持ちなんか誰にもわからない!」ってさ。」
「李徴の態度は、あたしたちでもしていることなんだ。だから、批判しにくいね。」
「でもさ、本質的には、気持ちなんて誰にもわかり合えないよね。だって、全く同じ経験をすることなんて出来ないもの。要するに無いものねだりだね。」
「しかも、李徴にはこれは自分だけにしかわからない特別なものだという思いがある。それは、一面優越感の表れでもあるね。」
「最後に話題を変えて、頼み事をする。自分にこれだけ注目させてからだから、何だろうって気にさせるね。」
李徴って嫌なやつだなあ。だけど、その嫌な面はあたしにもある。だから、簡単には否定できない。おまけに、自分の悲劇性を上手く訴えている。話の展開が巧みだなあ。
コメント
「ああ、全く、どんなに、、、思っているだろう!」読点で細かく切る事で、慟哭しているように感じるし、ともすると、今まさに李徴のヒトの意識が虎へと変わるのではないかというような雰囲気さえ感じます。そしてダメ押しの倒置された「己が人間だった記憶のなくなることを」。しあわせ?とんでもない、人間を手放す事なんて出来ない李徴。
「誰にも分からない。誰にも分からない。」と畳み掛ける事で、かえって「いや、分かるよ」と聞き手は言ってしまいそうですよね。聞き手の心の揺れを逃さず「ところで、そうだ。」とお願い。今思い立ったような言い方ですが上手いこと自分の思うところに相手を誘導、計算高いですね。
李徴は相手の心理を読み切った話し方をします。これは常によほど相手がどう思っているかを気にしているからでしょう。
そうして相手の同情を引き出すことで、自分の頼みを聞いてもらいやすくしているようですね。
李徴はお話がうまいですね。
「そんなことはどうでもいい」なんて言ったら、「いや、どうでもよくないよ」って、必ず同情してもらえるもの。
すっかり悲劇につかって酔ってますね。自分は世界一不幸なんだからと。
そのあとにくるお願いってなんでしょうか。気になります。
李徴は、何かを否定することで、相手が肯定してくれることを期待しているようです。
実は、私も自己否定型の思考をします。それを口にすることもあります。
しかし、意識的には相手の肯定を期待するためのものではありません。
とは言え、潜在的にそれが全くないとは言い切れません。身につまされます。