隴西《ろうさい》の李徴《りちょう》は博学|才穎《さいえい》、天宝の末年、若くして名を虎榜《こぼう》に連ね、ついで江南尉《こうなんい》に補せられたが、性、狷介《けんかい》、自《みずか》ら恃《たの》むところ頗《すこぶ》る厚く、賤吏《せんり》に甘んずるを潔《いさぎよ》しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山《こざん》、虢略《かくりゃく》に帰臥《きが》し、人と交《まじわり》を絶って、ひたすら詩作に耽《ふけ》った。下吏となって長く膝《ひざ》を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺《のこ》そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐《お》うて苦しくなる。李徴は漸《ようや》く焦躁《しょうそう》に駆られて来た。この頃《ころ》からその容貌《ようぼう》も峭刻《しょうこく》となり、肉落ち骨|秀《ひい》で、眼光のみ徒《いたず》らに炯々《けいけい》として、曾《かつ》て進士に登第《とうだい》した頃の豊頬《ほうきょう》の美少年の俤《おもかげ》は、何処《どこ》に求めようもない。
春菜先輩からだ。書き出しは、漢文調で少しとっつきにくいなあ。
「最初は、この小説の舞台背景が語られる。いわゆる5W1Hだね。ただ語句が難しいから、意味を解説していくね。小説の舞台は、昔の中国だね。隴西というのは、中国にかつて存在した郡。秦代から唐代にかけて、現在の甘粛省東南部に設置された。天宝というのは中国の元号で、唐の玄宗の治世後半に使用された。西暦で言うと、742年 ~756年。だから、日本なら奈良時代の頃。主人公李徴は、博学才穎とあるから、要するに、頭がよくて勉強が出来たんだ。「名を虎榜に連ね」というのは、科挙の試験に合格すること。科挙は官吏登用試験。これは猛烈に難しい試験だったんだって。それに若くして合格したんだから、超エリートだったんだね。それで、江南尉と言う役職に就いたんだけど、李徴は性質が頑なで、自分の才能にすごく自信があった。それで、江南尉のような卑しい役人に満足することなどできなかったんだ。いくらも務めずに役人を辞めて、故郷の虢略に帰ってきた。人との交際を避けて、ひたすら詩を作り続けたんだ。ここまではいいかな?わからない語句は、自分で辞書を引きなよ。」
「大体わかりました。役人を辞めて詩人を目指したんですね。」
「まっ、そういうことだね。で、その理由は、長い間卑しむべき上役にペコペコするよりは、詩家としての名前を死後百年に残そうとしたんだ。つまり、役人として出世するには、長い間軽蔑すべき上役に頭を下げなくてはならない。それに耐えられなかった。プライドの塊だからね。自分の才能に絶対の自信があったから、詩人こそが自分に相応しい姿なんだと思う。詩家として自分の名を長く後世に残そうとした。ところが、そう上手くは行かない。詩人としての名前はたやすく上がらない。生活は日につれて苦しくなる。そうそう詩でなんか食って行かれないよね。いつの世も同じ。今だって、詩で食っているのは谷川俊太郎くらいだよね。だから、段々焦ってきた。この頃から容貌もすっかり変わってしまい、厳しそうな顔つきになった。科挙の試験に合格した頃は、頬がふっくらした美少年だったんだけど、今ではすっかり頬がこけ、目だけが鋭くギラギラしているんだ。
ここで純子に質問。李徴の容貌の激変からどういうことが想像されるか、次回までに理由を考えてくるように。じゃあ、今日はこれでお終い。」
難しい語句が使ってあるけれど、それがわかれば、言っていることは理解できる。それにしても、李徴は自分に自信があるんだね。役人にせよ、詩人にせよ、自分を誇るための手段なんだね。今なら東大理Ⅲこそ自分に相応しいって思うようなものだね。
コメント
李徴の思考は謎だらけです。とんでもなく難しい科挙の試験をパスした先の勤め先なのだから、それは立派な環境と思っていたのでしょうか?期待外れだったと。でも、周りもみんな科挙にパスした人々、ですよね。「こんな優秀な私が下っ端」なんて耐えられなかった、のでしょう。そして仕事を辞めて詩人になる。なぜ、詩人を選ぶのでしょう?唐代の詩人だと、杜甫とか孟浩然とかいますね。確かに彼らは尊敬される、今でも名の残るスーパースターですが、それを目指してしまったのでしょうか。芸術なら書画とか、頭がいいのなら学者とか、他にも色々あったでしょうに。でも、いずれも修練なくして直ぐには結果は出ませんね。詩人だってそうなのに、元手も掛からないし頭使って書くのだからいけると思ったのでしょうか。初めての挫折、この優秀な私が人から認められないなんて!と。志があってその仕事に就くために勉強するのでなく、科挙に合格した優秀なヤツ、と思われたくて科挙の試験を受けたのか?心を動かす様々な事どもを言葉に留めたくて詩人になるのでなく、単なる有名希望で知ってる良さそうな言葉を切り貼りして認められないと怒る。頭良いのだか悪いのだか。
李徴は、自分の価値を自分では決められなかったのです。だから、人の評価を基準にしています。科挙も詩人も自分を高く評価してもらうための手段に過ぎません。
唐の時代ですから漢詩の評価が最も高かったのでしょう。だから、それを選びました。李徴の価値観は生まれつきの自尊心の高さによるものでもあります。
しかし、恐らく育ちにも有ったのではないでしょうか?親、それも母親が深く関係しています。現在の進学校に通う生徒の価値観がそうであるように。
この作品では、そこまで踏み込んでいませんが・・・。
難しい言葉がたくさん出てきますね。
春菜先輩の解釈でなんとか意味を理解することができました。が、難しいですね。ひとつひとつ調べていきます。
確かに書き出しの辺りは特に難しい語句を使っていますね。
これはある意味で、雰囲気作りになっています。つまり、読者に緊張感を持って読んでもらいたいのです。
人間が虎に変身する話でもあるしね。
だから、大丈夫です。これ以降はずっと砕けた言い回しになります。