下人には、勿論、何故老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。従って、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。
若葉先輩は、前回残してしまった問題にどう切り込んでいくのかな?
「ここは、「善悪」の判断がどうなされたのかが書かれている。その基準は、何だろう?」
「老婆の行為は、「合理的」にではなく、「下人にとっては」「許すべからざる悪」なんだ。つまり、下人にとっての〈都合〉が基準になっている。」
「だから、その〈都合〉によって「この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。」と決めつけたんだ。これが老婆を憎む根拠になっている。でも、なぜ?」
「老婆の行為が悪じゃないと、老婆を憎む理由が自分を怖がらせたとか、先に寝床を占領していたとか、我が儘な理由になってしまう。」
「それで、悪だから憎むってことにしたいんだ。」
「そう、自分が老婆を憎むのは、我が儘な理由ではなく、それが悪だからだと誤魔化したいんだ。」
「それはなぜ?」
「それなら、自分が自分の行為に責任を取らずに済むから。下人は、責任を取ることをすごく恐れているんだ。」
「そうか、下人も自分の憎悪がさすがに自分勝手なものだとわかっていた。だから、それはそのまま表には出すわけにはいかない。そうすると、責任が生じてしまう。だから、何か立派な口実がほしい。その思いがあらゆる悪に対する反感になったんだ。」
「自分の行為を正当化する必要があったんだね。」
「この時は、自分の行為を正当化するために正義の立場に立つ必要があったんだ。どうしても、自分勝手な憎悪の裏付けがほしかった。それがあらゆる悪に対する反感なんだ。」
「それは、下人の自分に対する自信の無さの表れでもあるよね。」
「だから、松の木切れが勢いよく燃え上がるほどの大層な反感がになったんだ。」
「そこからどんなことがわかる?」
「下人が自分の意志だけでは行動できない、臆病な人間であること。」
「下人は弱いヤツだね。」
「それだけじゃない。無責任な人間でもあるね。それは、「さっきまで自分が、盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。」にもよく表れている。」
「下人は、状況によって自分をコロコロと変えていくとも言えるね。」
「勿論とあるのは、読者にもうおわかりでしょという気持ち。確かに、これまで読んできた下人の人物像と矛盾しないね。」
自己の行為をどう正当化するか。心はそのためにこう働くんだ。意志薄弱で無責任。下人は情けないヤツだね。でも、よく考えてみると、こういう面はあたしにもある。個人的な理由を大義によって正当化しようとしたり、状況によって無責任に自分の考えを変えたりする。どうしよう、あたしも下人かもしれない。
コメント
正当化する、と言った段階で正当ではないのですよね。あまりにも利己的。「この雨の夜に、この羅生門の上」にいるのは下人も同じ。下人が一番されたくない「評価」を老婆に下す事で自分の立場を守ろうとしている。老婆との違いは下人を見つめるものがいないというだけ。老婆は火を手から離す事で照らされる側になって見つめられている。闇に紛れて覗く下人、空っぽの正義感で火の下に出て行ったら、、自分というヒトの目から逃れられるのか。
火の下と書いていて、「日の本」の大義名分、戦時下の心理に似ていると思いました。
「正当化」という言葉が指し示す内容は、人によって異なるでしょう。すいわさんのように下人の心理はそれに値しないと考えることもできます。
しかし、下人の心理もそう言わざるを得ないものなのです。丁度政治家が自分の行為を正当化するように。
一世帯三十万円を一人十万円に政策変更したことを「過(あやま)ちを改(あらた)めざるこれを過(あやま)ちという」に沿ったものだと正当化することもできます。
人が怖い下人にとってはそうですね。人それぞれです。いろんな顔を持っているのが、使い分けるのが人の特性でもあります。器用に使い分けていたからこそ言える事ですが、誤魔化しに慣らされて感覚が鈍麻することの方が今の私にとっては恐ろしいです。流れに棹差すより流される方が楽ではありますが、他者の顔色伺って自分を騙し切れるか自信がないです。ある意味これもエゴですね。
もしそれを「エゴ」と言うのなら、望ましいエゴです。
何が自分にとって納得のできる生き方をするのは当然の権利です。
学ぶのは、自己の生き方を検証する知性を養うためです。
あらゆる悪に対する反感というところで、なるほどーと思いました。
立派な正義の理由ですものね。
下人は調子がいいな。
自分勝手な行動に大義名分を付けるのは、下人だけでなくよくあることではありませんか?
子どもにしても、「だって、みんな持っているんだから。」と言います。