普段、おかずの支度はすべて姉がしているが、今夜はキャベツを細く刻むだけにして、フライは父親が自分で揚げた。煮えた油の中でパン粉の焦げるいいにおいが、家の中にこもった。四人家族に六尾では、配分がむつかしそうに思われたが、父親は明快に、
「お前と姉は二匹ずつ食え。おらと婆っちゃは一匹ずつでええ。」
と言って、その代わりに、今朝釣ってきた雑魚をビールの肴にした。串焼きにしたまま囲炉裏の灰に立てておいたのを、あぶり直して、一尾ずつ串から抜いてはしょう油をかけて食った。ビールは三本あるから、はらはらして、
「あんまり食えば、そばのだしがなくならえ。」
と言うと、父親は薄く笑って、
「わかってらぁに。人のことは気にしねで、えびフライをじっくと味わって食え。」
と言った。
「普段は、姉がおかずの支度をしているんだね。じゃあ、祖母はご飯を炊くんだ。姉はお母さん代わりで、祖母と家事を分担しているんだね。」
「これでお母さんがいないってことがはっきりしたけど、亡くなってしまったのかな?」
「弟とは年が離れているだけじゃなくて、主婦の仕事を分担しているから、しっかりしているのね。」
「それでも、えびフライは父親が自分で揚げたんだ。揚げるまでがお土産って訳なんですね。」
「パン粉の焦げるいいにおいがしてきたわ。えびフライが食べたくなってきた。」
「配分を気にするのはいかにも子供らしい心理ね。何でも平等にしようという気持ちがあることがわかる。」
「切り分けることもできるけど、父親は子どもたちを優先してくれたんだね。子どもたちが満足するように食べさせたかったんだ。年寄りは食が細いだろうし。」
「父親は、その分今朝釣ってきた雑魚を次々に食べてしまう。語り手は、そばのだしがなくなるので、ハラハラする。せっかくだしを取ろうとしたのにと思って。」
「すると、父親は気にしないで、浴びフライを味わえと言う。「薄く笑って」が気になるな。なぜこんな笑いをしたんだろう。」
「確かに、雑魚をだしが取れなくなるまで食べる理由と関係あるよね。なぜかな?」
小さな疑問を次々に持たせながら書き進めている。何かを明らかにしては、新たな謎を掛けていく。これがこの作家の手法だ。ただ、考えてみれば、日常生きる時もそうだ。その意味で、この作家は日常生活の自然を再現しているんだ。それが結果的にこういう書き方になるんだ。小手先の技法じゃないんだ。
コメント
六尾のえびフライ、お父さんはお土産として家族の3人に2尾ずつ食べてもらっても良かったのでしょうけれど、4人揃って美味しいものを口にする、この共有する時間もご馳走の一部にしたかったのでしょう。足らない肴、急な帰省に慌てて雑魚を用意したであろうこともお父さんは察していたのでしょうね。自分の為に子供が用意してくれた雑魚、えびフライより何よりのご馳走だったに違いありません。お酒も入って、実のところ食欲より疲れて休みたいところだったかもしれません。あとどれくらい滞在できる時間があるのでしょう。皆が喜んで食べる姿だけ見届けて、蕎麦を食べるだけの時間も無いとしたら、、
そうですね。同じものを食べてこその一家団欒です。父親も冷凍食品を食べるのは初めてだったのかもしれません。仮に食べるのが初めて出なくても揚げたのは初めてでしょう。
その味を自分でも味わう必要があります。家族が食べているものがどんな味かを知っておきたかったのでしょう。
そして、何より雑魚こそがごちそうでした。これを食べてこそ故郷に帰った気がするのです。あらかた食べてしまったのは、そばを食べる時間がなかったのかもしれませんね。
それをまだ言い出せないために薄く笑ったのでしょう。
私も父親が薄く笑ってのところが疑問でした。
そうか、確かに。蕎麦を食べる時間がないということかも知れませんね。
納得です。
束の間の幸せな一家団欒です。もうすぐ帰る時間になってしまいますね。
エビフライも雑魚も、家族を思いやる優しい温かい想いに溢れていますね。
幸せな時間は短いものなのでしょうか?
その時間をみんなで愛おしむように過ごしています。
父親がえびフライと雑魚の両方を食することに意味があるのでしょう。