微妙な喜びと、激しい欲望

 今でも、美しいちょうを見ると、おりおり、あの熱情が身にしみて感じられる。そういう場合、僕はしばしの間、子供だけが感じることのできる、あのなんともいえない、むさぼるような、うっとりした感じに襲われる。少年のころ、初めてキアゲハにしのび寄った、あのとき味わった気持ちだ。また、そういう場合、僕は、すぐに幼い日の無数の瞬間を思い浮かべるのだ。強くにおう、乾いた荒野の、焼けつくような昼下がり、庭の中の涼しい朝、神秘的な森の外れの夕方、僕は、まるで宝を探す人のように、網を持って待ちぶせていたものだ。そして、美しいちょうを見つけると、特別に珍しいのでなくったってかまわない、ひなたの花に止まって、色のついた羽を呼吸とともに上げ下げしているのを見つけると、とらえる喜びに息もつまりそうになり、次第にしのび寄って、輝いている色の斑点の一つ一つ、透き通った羽の脈の一つ一つ、触角の細いとび色の毛の一つ一つが見えてくると、その緊張と歓喜ときたらなかった。そうした微妙な喜びと、激しい欲望との入り交じった気持ちは、その後、そうたびたび感じたことはなかった。

 あたしたちは、自由に話し合った。
「ちょうへの熱情がどんなものかを説明しているのね。」
「いずれにしても、女の子は蝶になんか夢中にならないわね。男女では脳の構造が違うのかしら。それとも、環境や育てられ方の違い?」
「「子供だけが感じることのできる、あのなんともいえない、むさぼるような、うっとりした感じ」って、わかる?あたしにもそんな感じが有ったような気もするけど、何に対してだったのかなあ?」
「わたしはわからないな。そんなことがあったっけ?なかったような・・・。」
「わからない人があるからかな、ここの描写が凄く具体的。「少年のころ」で始まる文が凄く具体的でリアルに描写されている。」
「その気持ちそのものはわからなくても、どんなに熱情を持っていたかはわかるわ。」
「「美しいちょうを見つけると、特別に珍しいのでなくったってかまわない」というところがポイントよね。蝶を捕まえる喜びに酔いたいんだね。」
「ちょうの美しさと自分の気持ちが一つになっている。」
「「とらえる喜びに息もつまりそう」っていうのが凄い。」
「「緊張と歓喜」「微妙な喜びと、激しい欲望との入り交じった気持」とも言っているよ。」
「ここの描写、凄く力が入っていると思わない?作者は、読者に想像してほしいんだね。」
 ここでまた先生が入ってきた。いつの間にいたんだろう。
「これは俳句が目指す境地に似ていますね。俳人の加藤楸邨はそれを「真実感合」と言いました。眼前のものから直接受け取る生の息吹を通して個の思いに至る。要するに、物と思いが一つになることです。子供の時には教えられなくてもそれができるのでしょう。俳句は、それを取り戻す工夫なのですね。」
「俳句かあ、なるほど、そんな風に読みを発展させるんだ。」
「一方、生物学者の福岡伸一さんは、こんなことを書いています。」
 先生は、用意していたプリントを配った。話がこう展開するのを予想していたみたいに。

コメント

  1. すいわ より:

    「子供だけが感じることのできる、あのなんともいえない、むさぼるような、うっとりした感じ」、それはまるで『お母さん大好き!』と直向きに無条件に親に向けられる子供の情感。「僕」のちょうに対するそれは「愛」に違いなく、むしろそんな「僕」こそ天然自然から「愛される」存在に他ならないように思えます。相対する関係は不可侵で純粋。
    「緊張と歓喜」ー追い掛ける対象が目に入るともう、目を逸らすことができない、微に入り細に入りその姿を焼き付けたい、その美しい存在を捕らえたい。でも手を触れたら繊細な羽を傷付けはしまいか、壊してしまわないか。慎重に、驚かさないように、、それは恋にも似て?

    • 山川 信一 より:

      自然への興味や関心は、未知なるものへの憧れです。それは母なるものへの愛着とは異なるでしょう。むしろそこから遠ざかろうとする感情ではないでしょうか?
      とは言え、純粋なる思いとしては、両者は繋がっていますね。
      この少年は、蝶を捕らえることを通して、恋の基本を学ぶかもしれませんね。

  2. すいわ より:

    未知なるものへの憧れ、そうですね、親への愛着は最初から一体のもので、自然に対する追い求めてやまない、渇望するような情感とは異なりますね。あこがれ、童の心と書くのだなぁと感慨深い思いが致しました。

タイトルとURLをコピーしました