《沈んだ月》

題しらす よみ人しらす

あかすしてつきのかくるるやまもとはあなたおもてそこひしかりける (883)

飽かずして月の隠るる山本はあなたおもてぞ恋しかりける

「題知らず 詠み人知らず
堪能せず月が隠れる山の麓は向こう側が恋しいことだなあ。」

「(飽かず)して」は、接続助詞で単純な接続を表す。「(あなたおもて)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(恋しかり)ける」は、助動詞「けり」の連体形で詠嘆を表す。
十分に堪能しないうちに月が山の端に隠れてしまった。私は山の麓にいるので、山の向こう側が恋しいことだなあ。今頃、向こう側では月が顔を出しているだろうから。
作者は、一晩中月を眺めていた。その月が沈む。それを惜しむ思いを詠む。
この歌は、前の歌と〈月を堪能できない〉繋がりである。そして、(877)の歌と対になっている。山の端に月が出る前の逸る思いと沈んだ後の惜しむ思いとである。どちらも山国である日本ならではの心情である。月と山の情景に留まらず、それを眺める作者の姿までも目に浮かんでくる。月の歌はまだ続くけれど、編集者はこの歌で一区切り付けている。

コメント

  1. すいわ より:

    山の向こう側。なるほど地続きの距離感と山を隔てた距離感では文化習慣が変わるくらいに山向こうは遠く、圧倒的に未知の領域。異なる世界へ月は行ってしまった訳ですね。まだまだ見ていたかった月が隠れて暗がりの中にいる自分とそれとは反転して明るさの中にある山向こう。その明るさすら残らない山の頂きの方を見上げ、山の底にある詠み手。この強いコントラストが焦がれる思いをより強調し月の存在感を際立てているように思います。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、想像上の山の向こう側の明るさと現実の山の麓の暗さのコンストラストが感じられますね。そして、月の存在感もそれ故の恋しさも。

タイトルとURLをコピーしました