題しらす よみ人しらす
たれみよとはなさけるらむしらくものたつのとはやくなりにしものを (856)
誰見よと花咲けるらむ白雲の立つ野と早くなりにしものを
「題知らず 詠み人知らず
誰が見ろと花が咲いているのだろう。白雲が立つ野と疾うになってしまったのに。」
「(咲け)るらむ」の「る」は、助動詞「り」の連用形で存続を表す。「らむ」は、助動詞「らむ」の終止形で現在推量を表す。「(なり)にしものを」の「に」は、助動詞「ぬ」の連用形で完了を表す。「し」は、助動詞「き」の連体形で過去を表す。「ものを」は、接続助詞で逆接を表す。倒置になっている。
花を見るべき主人が亡くなってしまったのに、一体「誰が見ろ」と言うように桜の花が咲いているのだろう。この家は、白雲が立つ野となってとっくに荒れてしまっているのに。
荒れた家の庭に見事に咲いた桜の花を見て、いくら見事に咲いても甲斐が無いと嘆くことで故人を偲んでいる。
この歌も季節の事物にこと寄せて悲しみを表す。人の心を喜ばす桜の花でさえ素直に見ることができないのが遺族の心理なのだと言う。哀傷の歌としては、季節や事物が変わっただけでこれまでの歌と発想は似ている。ただし、この歌は、ピンクと白の色彩感を加えている。しかも、視野の広がりを表している。一方、構成としては、第一句第二句で疑問を持たせ、第三句第四句第五句でその疑問に答えている。編集者は、こうした表現と「らむ」と「ものを」による倒置表現を評価したのだろう。
コメント
主人の帰りを待つハチ公の姿とこの桜の木が重なってしまいました。
毎年変わらず見事に咲く桜、さぁ花咲かせました、ご覧ください、、一体、誰にその姿を見て欲しいのか。この家はもうとっくに寂れて空っぽな野になってしまったというのに。空疎な空間に咲く桜、それが美しく咲けば咲くほど、残された者たちにとって主人の不在を実感させられる。主人について直接描かれていなくても、桜を見上げる主人の顔が思い浮かべられます。
主人を失った遺族の思いとはこうしたものなのでしょう。「題知らず 詠み人知らず」ですから、一般的普遍的な思いを表しています。桜がハチ公は言い得ていますね。
桜の淡いピンクから白雲の白へと次第に色を失っていく感じがします。これは遺族の心情を象徴しているようです。