《歌の背景》

題しらす よみ人しらす

あきかせのふきとふきぬるむさしのはなへてくさはのいろかはりけり (821)

秋風の吹きと吹きぬる武蔵野はなべて草葉の色変はりけり

「題知らず 詠み人知らず
秋風が吹きに吹いた武蔵野はおしなべて草葉の色が変わったことだなあ。」

「秋」に「飽き」を掛けている。「吹きと吹きぬる」の「と」は、格助詞で動詞の意味を強調する。「ぬる」は、助動詞「ぬ」の連体形で完了を表す。「(変はり)けり」は、助動詞「けり」の終止形で詠嘆を表す。
秋風が吹きに吹いて、この武蔵野の草葉の色は一面に変ってしまいました。それはまるで今のあなたのようです。あなたの心に飽きという風が吹きまくって、あなたの顔色も心の色もすべてが変わってしまいました。
作者は、心変わりした相手に自分にそれがどう思えるかを、あからさまな言葉で言うのではなく、たとえによって伝えている。その方が受け入れてもらえると思ったのであろう。言葉は受け手を圧倒しない方がいいことが多いからだ。
前の歌とは紅葉繋がりである。「秋風の吹きと吹きぬる」は、二人の間にはそこに長い時間の経過が有ったことを暗示する。そして、恋の舞台は武蔵野である。読み手である京都の貴族の想像力を刺激するに違いない。『伊勢物語』に有ってもよさそうな物語性を感じさせる。
この歌は、表面上は武蔵野の情景を詠んでいる。しかし、全体がたとえになっている。それがたとえだとわかるのは、もちろん「恋歌五」に置かれていることによる。その一方、詠まれている情景と感動が平凡であることにもよる。かえって、読み手に何かあるはずだ、一体この歌の背景には何があるのかと思わせるからだ。そこで、読み手は「秋風」に「飽き」を読み、この歌の背景を想像することになる。この場合、詞書が「題知らず 詠み人知らず」になっていることがむしろ効果的に働いている。想像が限定されないからだ。この歌はそんなたとえの用い方を示している。
編集者は、読み手の想像力を刺激するこうしたこの歌の企みを評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    武蔵野。真っ平、辺り一面、草はらが広がる。「木の葉」ではなく「草葉」、彩られることなく、見渡す限りの枯れ野。ただただ冷たい秋風が吹き渡る、、ざわざわと風にさざめく草の音、あれは私の胸の内であったのだなぁ。素知らぬ顔の、当たり前の秋の風景、がらんどうの武蔵野にそれぞれの恋の終焉が映し出される。

    • 山川 信一 より:

      ただ一面に広がる色の無い世界。そんな「武蔵野」の情景にたとえられた「恋の終焉」の思いを見事に言い得ています。作者の心はきっとこうだったのでしょうね。

タイトルとURLをコピーしました