《荒らすだけ》

題しらす よみ人しらす

あらをたをあらすきかへしかへしてもひとのこころをみてこそやまめ (817)

荒を田を荒ら鋤き返し返しても人の心を見てこそ止まめ

「題知らず 詠み人知らず
荒れた田を荒く鋤き返すように繰り返しても人の心を見て止めようと思うのだが・・・。」

「荒を田を荒ら鋤き返し」は、「返しても」を導く序詞。「も」は、係助詞で詠嘆を表す。「あらすきかえす」の「す」は、「(荒ら)す」と「す(き返す)」を兼ねている。「(見て)こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を已然形にし次の文に逆接で繋げる。「(止ま)め」は、意志の助動詞「む」の已然形。
荒れた田を荒く鋤き返すように繰り返し働きかけてもあなたの心は更に荒れる。だから、その心を見て、もうこれで止めようと思うのだが、思うようには止められない。
作者は、自分の行為を荒れた田を荒く鋤き返すようなものだから、これ以上無駄なことはするまいと思うのだが、思い通りにはいかないと嘆いている。
心を田にたとえ、それに働きかけることを鋤き返すとたとえている。なるほど、荒れた田は手に負えない。たとえ耕したところで更に荒れるだけである。それと同様に、荒んでしまった心に何度働きかけても、もっと荒れるだけである。これは、終わった恋に働きかける行為のイメージ化である。編集者はこのたとえの斬新さ・的確さを評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    816番の歌では海、今度は陸に目を転じて田を題材にしたのですね。鋤き返される土の形が波のように見えたのか。貴族ですよね、詠み手はこれから「始まる」作業を見て「終わり」の景色と捉えているのがなんとも皮肉。とはいえ、荒れた土地を相手の心、農夫をそれに働きかける自分と見立てる着眼点は流石です。もう手の施しようのない関係、策を講じようとすればする程、拗れてどうにもならない。引き際を見切れず更に嫌われる。でも、諦められない、、。負のスパイラルにはまってしまったようです。

    • 山川 信一 より:

      歌の展開からすれば、海から陸へと対照的な題材を使った歌を並べたということになりますね。確かに、これは貴族の見方ですね。荒れ田も耕すことで肥沃に変えることができるかも知れません。しかし、中には手の施しようのない田もあるのでしょうね。それが予想できれば、歌としては成立します。まして、人の心は、働きかければかけるほど、修復不可能な状態になることはしばしば。納得させられます。

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