題しらす よみ人しらす
ゆふされはひとなきとこをうちはらひなけかむためとなれるわかみか (815)
夕されば人無き床を打ち払ひ嘆かむためとなれる我が身か
「題知らず 詠み人知らず
夕方になると、人の無い床を払いのけて、嘆くためとなるであろう私の身だなあ。」
「(夕され)ば」は、接続助詞で条件を表す。「(嘆か)む」は、助動詞「む」の連体形で未来を表す。「(なれ)る」は、助動詞「り」の連体形で存続を表す。「(我が身)か」は、終助詞で詠嘆を表す。
夕方になると、あの人がいない寝床の塵を払い清めて、嘆くだろうことが目的の者となっている私の身だなあ。
作者は、一人寂しい夜を過ごすことになることを予想して嘆いている。自分はもはや生きる目的が嘆くことだけになっていると言う。
この歌は、女の気持ちを詠んだと思われる。しかし、女が出ていった男の場合でもいいだろう。題材が前の歌では「鏡」であった。一方、この歌では「床」になっている。どちらも、日常生活の場が舞台になっている。寝床の塵を祓い清める行為は、空しさを誘うだけだ。そんな「床」は、作者に嘆くことだけが目的で生きる自身の価値を教える。言わば、「床」による自己発見である。言い換えれば、恋が教える自己である。この歌の主題は「我が身」である。それに長い修飾語が掛かる。上から読んでいくと段々小さな小さな限定された自己になっていく。編集者は、この構成を評価したのだろう。
コメント
何気なく繰り返される日常、当たり前に毎日使う物から自分の今を思い知らされる。あなたと共に使うはずの床、あなたを思いながら手入れすることに虚しさを感じる。会えないことがわかっているから。嘆くために私の身があるかのようだ。また夕暮れが迫る、、。夕暮れの温度感と恋の火の潰えた温度感がリンクして、一層独寝の肌寒さが身に染みるのでしょう。
いい鑑賞です。「夕」と「床」から「温度差」「肌寒さ」を捉えている点が素晴らしい。確かにこの歌は触感に訴えていますね。