第九十三段 ~身分違いの恋~

 昔、男、身はいやしくて、いとになき人を思ひかけたりけり。すこし頼みぬべきさまにやありけむ、ふして思ひ、おきて思ひ、思ひわびてよめる、
 あふなあふな思ひはすべしなぞへなくたかきいやしき苦しかりけり

むかしもかかることは、世のことわりにやありけむ。

 昔、男が身分が卑しくて、それなのに、たいそう比べようもなく高貴な身分の(「になき」は〈二無し〉か〈似無し〉)人を思いかけて言い寄った。少し期待を持てる様子があったのだろうか、男は女のことが諦めきれず、横になっては思い、起きては思い、思い通りにいかなくて悲しんで詠んだ、
〈身分相応に(「あふなあふな」)恋はすべきなのだ。なぞらえようのないほどに身分が隔たった高貴な人と卑しい者との恋は苦しいものだなあ。〉
今もそうであるが、昔もこのように身分違いの恋に悩むことは、男女の仲で当然の人情だったのだろう。
 恋は身分の差などにかかわらず、陥るものである。当然、身分の差は大きな障害である。当時は、特に女性は上で男性がしたという恋は成就しにくかった。しかし、障害があるからこそ、恋心は一層燃え上がることもある。「頼みぬべきさま」が具体的には何かわからない。けれど、女にも多少はその気があったのだろう。しかし、身分の壁を越えることはできなかった。男は、そのためかえって、なお一層恋に苦しむことになった。
あふなあふな」は、語源がよくわからない。〈合ひな合ひな〉(身分に合い合いして)とも、〈危な危な〉(アブナイアブナイ)とも言う。ここでは前者を採用した。
 さて、この歌は、男が自分を慰めるために作ったのだろうか。成就しない恋を女と共に悲しもうとしたのだろうか。

コメント

  1. すいわ より:

    寝ても覚めても相手のことが頭から離れない、なのに障壁は限りなく高くて。「あふなあふな」という言葉が、貝合わせの貝をお互いに一つずつもっていて、重ねてはみるものの、ピタリと合わせられない、そんなもどかしさを感じる音に思えます。器に水を注ぐけれど、収まり切らず溢れてしまうような、思いばかりが溢れて気持ちを止めることも出来ない苦しさ。歌は女へというより、正直な自分の気持ちが口を突いて出たもののような気がします。

    • 山川 信一 より:

      「あふなあふな」から貝合わせを連想されましたか。面白いです。
      女は、男に惹かれるけれど、身分の差を乗り越えてまで恋に殉じようとはとは思わなかったのでしょう。
      だとしたら、女に贈った歌とは思えませんね。

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