《恋は織物》

題しらす よみ人しらす

すまのあまのしほやきころもをさをあらみまとほにあれやきみかきまさぬ (758)

須磨の海人の塩焼き衣筬を粗み間遠にあれや君が来まさぬ

「題知らず 詠み人知らず
須磨の漁師の塩焼き衣の織り目が粗い。その縦糸と横糸のように遠いのかな。君が来てくださらないのは。」

「須磨の海人の塩焼き衣筬を粗み」は、「間遠」を導く序詞。塩焼きの作業着は、粗末で織り目が粗い。経糸と横糸の間が遠く離れていることから。「筬」は、折り目を詰める貝。それを使った作業結果が粗いのである。「(筬)を(粗)み」は、「・・・が・・・ので」の意を表す。「(あれ)や」は、終助詞で詠嘆を伴った疑問を表す。「(来)まさぬ」の「まさ」は、補助動詞「ます」の未然形で尊敬を表す。「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。
須磨の漁師の塩焼きの作業着は、粗末で織り目が粗く、経糸と横糸の間が遠く離れています。そのように私の家とあなたの家が遠く離れているためかしら。あなたがいらっしゃらないのは。
作者は、恋人が来ない理由が物理的なものだと思いたいのである。飽きられたとは認めたくない女心である。
恋人が訪ねてくる間隔が空いていることを「須磨の海人の塩焼き衣筬を粗み」で表した。時間的隔たりを空間的隔たりに転化したのである。つまり、恋を織物のイメージで捉えた。恋愛は男女が経糸と横糸になって織りなす織物であると言うのだ。この発想が独創的である。編集者はそれを評価したのだろう。ちなみに、中島みゆきの『糸』は、この歌がヒントになったのではないか。

コメント

  1. まりりん より:

    恋人が訪ねてくる時間的隔たりを、織物の縦糸と横糸の空間的隔たりに置き換える発想が斬新ですね。粗い織り目は、そのまま心の隔たりも表しているかのようです。

    • 山川 信一 より:

      人はその時の心持ちによって世界が違って見えてくることがあります。編み目の粗さが自分と相手との関係に思えてくることもあるのですね。なるほど、粗い編み目は、心の隔たりに相違ありません。。しかし、作者それは認めたくないのでしょう。その思いがこの歌ではないでしょうか。

  2. すいわ より:

    筬、機織りの横糸を通した後に「トントン」する櫛形の道具ですね。絹織物なら細やかな櫛歯、漁師の身につけるような布だと丈夫ですぐ乾くようなものだから、粗い目立ての物を使う訳ですね。用途によって筬は付け替えることを思うと、細やかな配慮を自分には向けてもらえていない、糸同様、心が密でない事を自覚している風で、風の通る布のように心にも風が吹き抜けるような寂しさを感じさせます。

    • 山川 信一 より:

      表現は、自ずからその時の思いを表してしまいます。家が離れているから来ないと言いながらも、本当は「心が密でない事」「風の通る布のように心にも風が吹き抜けるような寂しさ」を感じているのでしょうね。認めたくなくても。

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