《慰め合う》

題しらす よみ人しらす

かくこひむものとはわれもおもひにきこころのうらそまさしかりける (700)

かく恋ひむものとは我も思ひにき心の占ぞ正しかりける

「題知らず 詠み人知らず
このように恋するだろうとは私も思っていた。予感は正しかったなあ。」

「(恋ひ)む」は、推量の助動詞「む」の連体形。「(思ひ)にき」の「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形。「き」は、過去の助動詞「き」の終止形。「(占)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(正しかり)ける」は、詠嘆の助動詞「けり」の連体形。
このように苦しく恋い焦がれるだろうものとは、私も、あなたと結ばれた時から、既に思っていました。あなたと同じ思いです。自分の心がどうなるのかの占いが正しかったことに今更ながら気がついて驚いています。
二人は、結ばれた後、何らかの事情で再び逢いにくいのだろう。しかし、恋しさは増す一方である。「我も思ひにき」とあるから、相手もそう思っていることがわかる。そうした思いを詠んだ歌が既に届けられ、この歌はそれへの返歌であろう。自分も同じ思いだと言って、慰め合っているのである。
「かく恋ひむものとは我も思ひにき」という思いが独特である。このような場合、普通は〈こんなことになるとは思ってもみなかった〉という心境になることが多い。けれども、「心の占ぞ正しかりける」と既にそう予感していたと言うのだから。しかし、こうした心理も確かにある。それを捉えたところにこの歌のリアリティがある。「(思ひ)にき」と「(正しかり)ける」の助動詞が過去と現在の心理の違いを巧みに表している。編集者は、こうした点を評価したのだろう。

コメント

  1. まりりん より:

    極めてシンプルに、率直に、想いを語っています。余計な言葉が無いぶん、恋しさが強調されますね。
    この2人がどのような関係性なのか、色々想像してしまいます。公には出来ない、許されない関係のような気がします。

    • 山川 信一 より:

      最初から離れ離れにあることを覚悟した逢瀬だったのでしょう。二人共にその予想があったようです。いけない関係なのでしょう。しかし、恋はその方が燃えます。つらさに耐えるのが恋ですから。

  2. すいわ より:

    「一字一句ゆるがせにできない」と先生はよく仰いますが、なるほど「われ“も”」で相手から受け取った思いに同意している事がわかるのですね。
    「このように『辛い恋』になると私も思っていた、その予感は当たっていた」、一見、報われない恋と嘆いているかに思えなくもないけれど、辛いと言うことは思いの深さも比例し、しかもそれが双方向である事が確認できた訳ですね。「慰め合っている」と言うことに納得できました。

    • 山川 信一 より:

      恋には、様々な味わいがあります。辛さに耐えることもそうです。しかし、つらさを味わいと思えるのは、相手も同じ辛さに耐えているからでしょう。この二人は、歌の贈答によってそれを確かめ合っているのでしょう。

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