題しらす よみ人しらす
つのくにのなにはおもはすやましろのとはにあひみむことをのみこそ (696)
津の国のなには思はず山城のとはに逢ひ見むことをのみこそ
「題知らず 詠み人知らず」
他には何も思わない。永遠に結ばれることを思うばかりだ。」
「津の国の」は、「難波」に掛かる枕詞。「なには」は、「難波」と「何は」の掛詞。「(思は)ず」は、打消の助動詞「ず」の終止形。「山城の」は、「鳥羽」の枕詞。「とは」は、「鳥羽」と「永遠」の掛詞。「(逢ひ見)む」は、未確定の助動詞「む」の終止形。「のみこそ」の「のみ」は、副助詞で限定を表す。「こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働いているが文末は省略されている。
今はもう他のことは一切思いません。津の国と山城国と離れ離れに暮らしても、あなたといついつまでも愛し合うままでいることを思うばかりです。それほどあなたとの逢瀬は素晴らしく、忘れられません。
作者は、離れた所に住む恋人の心を今のままに留めておこうと願っている。
地名を詠み込んだ歌が続く。これは遠距離恋愛の歌であろう。「津の国のなには思はず山城のとはに」一見言葉遊びのように思えるが、二人が住む場所を掛けている。つまり、表現技巧が内容に結びついている。また、「津の国のなには思はず」と読み手に疑問を持たせ、答えを後に持ってくる。しかも、言い尽くさない。この構成も凝っている。編集者はこれらを評価したのだろう。
コメント
枕詞でお互いの位置を意識させ、さり気なくピンポイントの場所も折り込んだ上で自分の思いを伝える。「つのくにの」で歌を受け取った人は相手の事を思い浮かべ、それなのにすぐに「なにはおもはす」、何も思わないってどういう事?と次の言葉を待つ。そして離れていても自分の心はただ永遠にあなたを求めてあなたに会うこと以外のことは考えられない、と種明かし。一瞬なのにその間の浮き沈みで心が揺さぶられます。疑問と答えの距離、ちょうどあなたと私の距離もこのくらいなもの、なのですよ、と言っているようです。
『古今和歌集』の歌はとても手が込んでいますね。詠み手はわかってもらえるかなと期待を込め、読み手はそれを楽しみながら読み解いていく。そんな言語表現への姿勢が伺われますね。効率一辺倒になりがちな現代人は見習いたいですね。わかり合うとは、こういうことなんだと。
掛け言葉に地名を折り込んでいるところが興味深いです。お互いの距離を改めて意識して、それでも想いは褪せることはないと。離れている恋人からこんな歌を贈られたら、逢えない寂しさも癒されますね。
この歌は、かなり技巧が凝らされていますね。技巧はこう用いるものだと言わんばかりです。憎いほどの技巧です。これなら相手の心を動かしそうです。逢えなくても相手を忘れることはないでしょう。