題しらす 伊勢
しるといへはまくらたにせてねしものをちりならぬなのそらにたつらむ (676)
知ると言えば枕だにせで寝しものを塵ならぬ名の空に立つらむ
「題知らず 伊勢
知ると言うから枕さえもしないで寝たのに塵ではない名がどうして空に立っているのだろう。」
「(言え)ば」は、接続助詞で原因理由を表す。「(枕)だに」は、副助詞で当てはまる条件の低さを表す。「(寝)しものを」の「し」は、過去の助動詞「き」の連体形。「ものを」は、接続助詞で逆接を表す。「(塵)ならぬ」の「なら」は、断定の助動詞「なり」の未然形。「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「(立つ)らむ」は、現在の出来事の原因理由の推量の助動詞「らむ」の終止形。
恋は人に知られてはならぬものですから、私は誰にも知られないようにずっと努めてまいりました。ですから、二人の幸せなひとときを知られないように、枕さえしないで寝たのです。それなのに、どうして塵でもない私の評判がまるで塵が空に立つように高く広く立っているのでしょうか。ひょっとして、あなたがお漏らしになられたのでしょうか。あなたはこの恋をどうなさろうとお考えなのですか。
作者は、噂が立ってしまったことに自分のせいでは無いと訴え、その原因は相手にあるのではないかと仄めかす。そして、相手に恋の責任を促している。
この歌は、平貞文の「枕より又知る人も無き恋を涙堰き敢へず漏らしつるかな」を拠り所として女の立場から歌っている。二人は同時代の歌人である。直接の返歌ではないけれど、そう読むこともできる。恋の噂に対する男女の違いが感じられて面白い。編集者は、恋三の巻末を飾るにふさわしいと思い、ここに掲載したのだろう。
コメント
平貞文の時も「枕」の存在を掴みきれなかったのですが、なかなかな立ち位置の配役な訳ですね。幸せの傍観者。
枕は私たちの全てを見ている。だから細心の注意を払って枕すら使わずに寝たというのに、空に舞う塵でなく何故私の名が噂されるのかしら?、、何故塵?そこに引っかかってしまいました。どこから塵を持ってくるのか?塵芥のように空い、の「空」?塵芥と書いて思ったのですが、芥(埃)の方でしょうか。使わずに埃の被った枕。あなたは噂の原因を私だというけれど、枕に埃が被るほどあなたはいらして下さらないのに、埃が立つのでなく私の名が噂に立つなんて心外だわ!どうしてくれるの?、、あら、怒っている歌になってしまいました。もし、こういう意味の歌なら、女の方がうわてですね。でも、何となく読み切れません、、。
恋の噂を何にたとえましょうか。鶏の喧しさ、春霞、鴛鴦、波打つ岸の松・・・。そこで作者は「塵」にたとえました。その実態の無いほどの軽さ、どこまでも高く上って広がっていく性質に噂との共通点を発見したのです。塵はどんなに掃除しても溜まるもの。目に見えるような見えないようなもの。そして、舞い上がるもの。到底、抑えることなどできません。まさに噂そのものですね。
「忍ぶ恋」にとって大敵の「噂」、形もないのに煩わしく付き纏い、捕まえようとしてもかわされて、方々へ散って行く。なるほど、恋するものたちを苦しめる「噂」を「塵」に例えて巻末に据えたのですね。それ程つまらないもの、なのに振り回されてしまう。必死だからこそ翻弄されてしまうのでしょう。
噂は、やはり「塵」がふさわしい。似てはいますが、「埃」が溜まるものであるのに対して、「塵」は、まさに散っていくものですから。
噂が立たないように、枕にさえ知られないように用心していたのに人に知られてしまった。相手への不満をストレートに表現していますね。前の貞文の歌の方が却って女々しく思えます。
塵を例えにしていて否定的な印象を受けます。悪い評判が立ってしまったのでしょうか? まっ、こういう時の噂は、良いものである筈はないとも思いますが…
なるほど、貞文の歌の方が女々しい。この歌には女の強さが感じられますね。
塵は積もるもの、制御不能なもの。いい噂など滅多にありません。塵は噂をたとえるのにふさわしいではありませんか。