《努力の限界》

題しらす とものり

わかこひをしのひかねてはあしひきのやまたちはなのいろにいてぬへし (668)

我が恋を忍びかねてはあしひきの山橘の色に出でぬべし

「題知らず 友則
「私の恋を隠しきれず顔色に出てしまうに違いない。」

「あしひきの山橘」は、「色」の序詞。「あしひきの」は「山」の枕詞。「山橘」は、今のやぶこうじで、赤い実が特徴的である。「(出で)ぬべし」の「ぬ」は、完了の助動詞「ぬ」の終止形。「べし」は、推量の助動詞「べし」の終止形。
私が恋していることを何とか隠そうと努めてはいます。けれども、度々隠しきれなくなっては、あの藪柑子の赤い実が緑の中に目立つように、きっと顔色に出てしまうに違いありません。」
661番の歌で「紅の色には出でじ隠沼の下に通ひて恋いは死ぬとも」と詠んだ友則であるけれど、この歌では、自ら努力の限界を訴えている。恋が次の段階に入ったことを伝えているのである。
この歌は、いかにも友則らしい力みの無い表現になっている。剣の言葉で言えば「一寸の見切り」のようである。「忍びかねては」の「は」が利いている。この一字によって、そういうことが繰り返されることがわかる。また、「あしひきの山橘」は、恋心を引きずり、それが意志に反して隠しきれず現れてしまう様をイメージを表している。編集者は、こうした点を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    山橘、十両ですね?なるほど、葉陰に咲く白い花は目立たないけれど、その実は赤々と目立つ。「実って初めて」露わになる。密やかな思いを隠して花咲かせ、恋を実らせたらどんなに隠そうとしても、その赤々と燃える思いは誰から見られても目に付いてしまう。山の稜線のようにゆっくりと広がって行く恋心。恋の段階まで見て取れて、単純に見えてどうしてどうして凝った歌だと思います。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、花のうちは目立たずに咲き、実ると目立つ。まさに恋そのものですね。さすが友則、そこまで考えての山橘(十両)のたとえだったとは!それを見抜いたすいさわんの鑑賞も見事です。

  2. まりりん より:

    友則、苦しそうですね。
    山橘の紅い実が緑の中に見えたら、ほんの小さな僅かな実であっても目立ちます。それを皮切りにどんどん実が増えて噂は皆の知るところとなってしまう。661番と同様に視覚的に情景を訴える術、友則は上手ですね。

    • 山川 信一 より:

      「視覚的に情景を訴える術」とありますが、情景は視覚に訴えるのが当たり前です。ここは、情景描写が上手いと言うことではありませんよね。ならば、思いを情景に託して訴えるではありませんか?
      また、「それを皮切りにどんどん実が増えて」が具体的に何をたとえているのかわかりません。比喩表現は慎重に使いましょう。
      「神は細部に宿りたもう」と言います。細部への拘りこそが全体を明らかにします。物事を大雑把に捉える「要約思考」は弊害の方が大きいのです。生徒にそれを教えてしまったことが国語教育の失敗です。国語教師として責任を感じています。

  3. まりりん より:

    山橘の紅い実、つまり顔に出てしまった想いが、一度表れ始めたら綻びが広がるようにどんどん表れ出てしまって人に知られる事になった。という積もりだったのです。まあ、小さくても紅いから目立つので沢山増えなくても結果は同じなのでしょうが、何となく。
    先生は、失敗なぞしていないと思いますよ。細部への拘りこそーーはその通りだと思いますが、要約も大切ですもの。「大切なポイントを少ない言葉で明らかにする」トレーニングが出来ていない方が弊害では? 時間ばかりかかってダラダラ物を言われても、一体何が言いたいのか分からなくてイライラさせられる事、職場でしばしばあるのです。
    先生の仰りたい事が伝わっていますかね?

    • 山川 信一 より:

      この話はそうそう簡単にはいきません。語り出したらきりがないほどです。要約がダメな理由は様々ありますが、一つにはそれをやると細部を大切にしなくなるからです。もし要約で済むなら、表現者は多くの言葉を費やしません。しかし、表現者にとっては、すべてが必要な言葉なのです。だから、それだけの言葉を費やしたのです。必要の無い言葉などありません。それに対して、要約とは「お前の話はダラダラしている。オレが縮めてやる。」と言っているようなものです。とても傲慢な姿勢です。そして、それを傲慢だとも思わない無神経な態度です。国語教師は、せっせとこんな傲慢で不遜で無神経無反省な要約脳を作っているのです。たとえば、ここに恋人に一生懸命気持ちを伝えようと話をする女性がいたとします。すると、話の途中で相手の男性がこう言います。「要するにお前の話はこういうことだよね。くどいんだよ。」女性の言葉の細部は一切無視されます。しかし、真の理解は細部の言葉を丁寧に辿ることによってしかなされません。だから、そのために必要なのは、細部の引用です。それも正確な引用です。なのに、恐らく大抵の生徒は引用を教わっていません。ちなみに、すいわさんは国語教師の嫌われ者だったそうです。それで、国語の劣等生でした。そのため、要約脳を持っていません。だから、これ程の鑑賞ができるのです。国語の劣等生で幸いでした。

  4. まりりん より:

    先生〜、私は正に! 要するに君の話はーー って言ってしまう傲慢で無神経で嫌われるタイプですよ!! でもこの年齢になって、今更どうしようもありません! まあ、気付いただけマシかも知れませんが…

    • 山川 信一 より:

      まりりんさんは、「要約国語」の優等生だったのですね。でも、悪いのは「要約国語」であって、まりりんさんではありません。その犠牲者の一人にすぎません。細部が重要なのは、まりりんさんだってわかっています。たとえば、病気の診断一つ取ってもそうですよね。細部の異常が病気の何たるかを示します。だから、名医は細部にこだわります。言葉もこれと同じことです。言葉の要約の愚を悟ればいいだけの話です。「今更どうしようもありません」なんてことはありません。考えを切り替えれば、直ぐに好かれるタイプになれますよ。

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