《誤解を解く》

題しらす みつね

ふゆのいけにすむにほとりのつれもなくそこにかよふとひとにしらすな (662)

冬の池に住む鳰鳥のつれもなくそこに通ふと人に知らすな

「題知らず 躬恒
冬の池に住む鳰鳥が底に平気で潜るようにあなたのところに通うと人に知らせるな。」

「冬の池に住む鳰鳥の」は、「底に通ふ」を導く序詞。「そこ」は、「底」と指示語の「そこ」との掛詞。「(知らす)な」は、終助詞で禁止を表す。
冬の池に住むカイツブリは、寒さにも平気で水の底へと潜っていきます。そのカイツブリのようにあなたの所に足繁く通っています。でも、周りの目が気にならない訳ではありません。決して平気な訳ではないのです。恋は秘めなくてはならないのですから、これでも周りに気を遣っているのです。ですから、「あの人は何も気にしないで通ってくるのよ」などと人に語ってはいけません。
作者は、自分の恋心を正当に評価してもらいたいのだ。足繁く通っていても、それなりの苦労があるのだとわかってもらおうとしている。でないと、相手はいい気になってしまうから。こうでも言わないと相手は誤解しそうなのだろう。恋には誤解が付きものである。芽のうちに刈り取っておくべきである。
前の歌とは「かよふ」繋がりである。題材も沼から池と関連させている。この歌では、それに加えてカイツブリを登場させて、甲斐甲斐しさをイメージさせている。ただし、自分はそれではないと言うために。編集者は、このたとえの新鮮さと用い方を評価したのだろう。

コメント

  1. まりりん より:

    そうか! 私の場合「通う」というと真っ先に頭に浮かぶのは学校ですが、当時は恋人の元 だったのですね。
    「通う」には「目的があってせっせと努力している」というニュアンスがある気がします。通勤とは言うけれど「仕事に通う」とは言いませんよね? すみません、話がそれました…

    • 山川 信一 より:

      「仕事に通う」とは言いませんか?「職場に通う」とはいいそうです。通うのは場所だからでしょう。仕事であっても、それを行う場を意識すれば、「仕事に通う」も言えるのではないでしょうか?まりりんさんが「通う」で学校を頭に浮かべるのは、学校が場所だったからでしょう。そこで何をするかはさて置いて。

  2. すいわ より:

    冬の冷たい池にたった一羽、番もなく浮かんでいる鳰。いかにも寒々しい風景が思い浮かびます。そこに人目を避けて通う詠み手。「あの人、独り身の寂しい私を落とすのなんて楽勝だと思っているのかしら?」そんな風に周りの人に話してはなりませんよ、人に知られぬよう貴女の所へ通うのは、鳰が冷たさに耐えながら池の底まで潜るのと同じように大変な事なのです、、。頑張って何度も通っているのに不信感を抱かれ、冷たい態度を取られたのでしょうか。拗ねた女を上手に説き伏せていますね。

    • 山川 信一 より:

      「つれなし」の意味は、「なんでもない」「平気だ」ですから、作者は「鳰が冷たさに耐えながら池の底まで潜るのと同じように大変な事」とは思っていないのでは?これは、鳰鳥の無頓着さを引き合いに出しているのではないでしょうか?私は、鳰とは違うので、そう見られては困りますと。

      • 匿名 より:

        「つれもなく」を「連れも無く」と読んでしまいました。水鳥は大概、つがいでいるのに、たった一羽(一人)で住んでいる。其処へ通う私。「鳰が冷たさに耐えながら(人目を忍んで)池の底まで潜る」、ここが「鳰は頓着する事なく平気で潜って行くけれど、私はそんな心構えで通っている訳ではないのだよ」なのですね。

        • 山川 信一 より:

          「つれもなく」は「連れも無く」を感じさせますね。それでも、鳰は平気でいます。その平気さと自分は違うと言いたいのでしょう。

  3. すいわ より:

    失礼しました、名無しで返信してしまいました。すいわでした。

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