題しらす こまち
かきりなきおもひのままによるもこむゆめちをさへにひとはとかめし (657)
限無き思ひのままに夜も来む夢路をさへに人は咎めじ
「題知らず 小町
限り無い思いのままに夜も来よう。夢路までも人は咎めまい。」
「(来)む」は、意志の助動詞「む」の終止形。「さへ」は、副助詞で添加を表す。「(咎め)じ」は、打消推量の助動詞「じ」の終止形。
あなたは男の方ですから、世間の評判がそんなに気になるのですね。でも、私は女ですから、何よりも恋が大事です。今の思いに嘘はつけません。あなたが現でも夢でも人目を憚っていらっしゃらないのなら、私の方が限り無いあなたへの思いのままにあなた昼も夜も逢いに来ましょう。昼はともかく夢路までも人は咎めないでしょうから。「女は待っているもの」ですって?恋の取り決めなど私には関係ありません。
作者は、恋にタブーなどありはしないのだ、相手が来ないのなら自分が行くと、現にも夢にも逢いに来ない相手に揺さぶりを掛けているのである。
この歌には、女の強さが表れている。世間体に囚われる男よりも女は強いのである。こんな歌をもらったら、男は自分の態度を変えずにはいられないだろう。歌の力が存分に発揮されている。編集者はその点を評価したのだろう。
コメント
前の歌でも充分に男の態度に対して揺さぶりをかけていたと思ったのに、小野小町恐るべし。私の思いは昼だの夜だのそんなものに囚われることなどないのです。まして夢の中だったら尚のこと、誰が咎める事がありましょうか?私の情熱を止めることなど出来ないのです。そう言うつもりなら、私の方から伺いましてよ、、。業平ですら女の方から訪ねて来たことに驚いていた位ですから、小町からこんな歌を受け取ったら男は大慌てですね。参りました。
小町は、この歌で男の覚悟、本気度、誠意のほどを試しているのでしょう。私と付き合いたいのなら、そんな甘っちょろいことではダメなのだと。これに応えられない男は、恋の相手として失格なのです。
小町は、待っているだけの女性ではありませんね。当時の慣習に拘らずに積極的に出ていて、自信も窺えます。これで引いてしまうような男性だったら、初めから小町の範疇にはないでしょうね。前の歌とこの歌、同じ人とのやり取りですよね? お相手、何方なのか気になります。
「小町の範疇にはない」とは、小町が恋の相手と認める範囲に入っていないということでしょうか。少し、表現が強引な気がします。
相手が誰なのかは言わずが花なのでしょう。もしかしたら、当時の人はわかっていたのかも知れませんね。
はい、小町の恋愛のターゲットの内に入らないというつもりでしたが、、でもそうであれば初めから文のやり取りすらしないかもしれませんね。
私が問題にしたのは、「小町の範疇」という表現の「の」の使い方です。「の」は、超論理の助詞で場面に応じてどんな意味にもなり得ます。たとえば、「これは私の本です。」と言った場合を考えてみてください。「私の本」は、限り無い意味を表しえます。ですから、「の」は慎重に使わねばなりません。その意味で「小町の範疇」は、表そうとしている内容との飛躍があり過ぎます。