《恋の事情》

題しらす よみ人しらす

むはたまのやみのうつつはさたかなるゆめにいくらもまさらさりけり (647)

射干玉の闇の現は定かなる夢にいくらも勝らざりけり

「題知らず 詠み人知らず
真っ暗な現実は、はっきりした夢に少しも勝らなかったなあ。」

射干玉(むばたま)の」は、「闇」に掛かる枕詞。「(勝ら)ざりけり」の 「ざり」は、打消の助動詞「ず」の連用形。「けり」は、詠嘆の助動詞「けり」の終止形。
あなたとお逢いするのはいつも真っ暗な夜なので、あなたのお顔すらわかりません。でも、夢でお逢いする時には、あなたをありありと見ることができます。これでは、現実は少しも夢に勝っていないではありませんか。私が知っているのは、薄明かりの中でぼんやりと見えるあなただけです。もちろん、それはそれで素敵ですが、だからこそ、明るさの中でお逢いしたいものです。
この時代の恋の事情を反映した歌である。逢瀬は暗闇の中でなされる。だから、当然相手の姿は見えない。それを嘆いているのである。恋の歌は常に満たされ無さを嘆くことになっている。嘆くことで思いの強さを伝えているのである。
前の歌とは、夢と現現繋がりである。恋の歌では、夢と現がよく歌われる。その場合、夢が現より儚いものとされることが定石である。ところが、この歌は、その定石を覆している。言われてみれば全くその通りである。編集者は、その発見を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    不確かなものの象徴のような「夢」。自分の願望が投影される分、夢の中の方がより貴女を近く感じられる、と言うのですね。暗闇の中の逢瀬、夢のような時間を過ごした。でも、どんなに目を凝らしても見えない貴女、瞼を閉じた時の方がはっきりと像を結ぶ。頼りない夢に縋らずに済むにはどうしたら良いか?昼間会うのは現実的ではない。とするとこの歌も後朝の歌で、暗にもう少しでも一緒に居られればと言う願望と貴女を確かめるために今一度会いたいとのメッセージなのではと思いました。

    • 山川 信一 より:

      作者は、現実への不満を述べているだけでそれを解消したり、その原因を取り除こうとは思っていません。尽きることなく嘆き続けます。作者にとってそれが恋なのです。そして、それを相手に言うことで、恋の誠を伝えています。

  2. まりりん より:

    恋しい人に逢って幸せな時間を過ごせるなら、夢でも現でも、どちらでも良いのかも。以前も別の歌でコメントした気がしますが、ポピュラーミュージックの「夢で逢えたら」を思い出しました。

    • 山川 信一 より:

      これは、逢えないならせめて夢で逢えたらいいのにという心ではありません。作者は既に現実に逢っています。なのに、その現実に不満を持ち、夢の方がましだと言っているのです。なんとも贅沢な思いなのです。それだけこの恋に入れ込んでいます。恋人にそれを示しているのです。『夢で逢えたら』の甘いムードとは別物です。

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