かの女にかはりて返しによめる なりひらの朝臣
あさみこそそてはひつらめなみたかはみさへなかるときかはたのまむ (618)
浅みこそ袖は漬つらめ涙河身さへ流ると聞かば頼まむ
「あの女に代わって返歌を読んだ 業平の朝臣
浅いから袖は濡れているのだろうが、涙川で身まで流れると聞くなら頼りにするだろう。」
「(浅)み」は、形容詞「浅し」の語幹「浅」につく接尾語で原因理由を表す。「こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を已然形にし後の文に逆接で繋げる。「(漬つ)らめ」は、現在推量の助動詞「らむ」の已然形。ここで切れ、以下の逆接で繋がる。「(身)さへ」は、副助詞で添加を表す。「(聞か)ば」は、接続助詞で仮定を表す。「(頼ま)む」は、意志の助動詞「む」の終止形。
あなたは涙川で袖が濡れたとおっしゃいます。しかし、それは涙川が浅いからではありませんか。つまり、私のへの思いはその程度の浅いものなのです。もっと深かったら、それでは済まないはず。涙川で身まで流れるとお聞きしたら、あなたを頼みにしましょう。
作者は前の歌の「袖のみ」をわざと曲解して答えた。前の歌では「のみ」を「(袖が濡れる)ばかりで(逢うことができない)」の意で使っていたが、それを「(袖)だけしか(濡れない)」の意に取ったのである。恋は、こうして相手の言葉に絡みながら進行するものである。作者が女に代わって詠んだのは、自分の庇護の元にある女にちょっかいを出す敏行を困らせてやろうとしたのかも知れない。あるいは、女がまだ年若く気の利いた歌が詠めなかったので、女に恋の歌とはこうしたものだと手本を示したのかも知れない。
恋の歌は様々な事情の中で詠まれる。編集者は、その実例の一つを示し、絡み方の手本を見せたのだ。『源氏物語』葵巻にも、六条御息所と源氏のこうした絡みが見える。紫式部は、『古今和歌集』から学んだのだろう。
コメント
ちゃんとこの歌が続いて出てくるのですね。業平、小気味よく打ち返してますね。
このやり取りを『伊勢物語』で再現、敏行は道化に仕立てられていますが、きっと狂言回しは彼ですね。編纂に携わった人達はきっと仲が良かったのだろうと想像します。
まりりんさん、是非、『伊勢物語』第百七段、ご覧になってください!アーカイブの2019年9月4️⃣〜代役〜でご覧になれます。
すいわさん、まりりんさんに紹介してくださって、ありがとうございます。私も同じことを言いました。
業平はこの恋を邪魔しようとした訳ではなさそうですね。業平は、恋の熟練者として年若い敏行と女に恋の歌の手ほどきをしたのでしょう。
先生、すいわさん、ありがとうございます。アーカイブを読んでみました。なるほど、そういうストーリーがあるのですね。とても興味深いです。
業平は「代筆」のようなことをした訳ですね。そうやって、この女性は歌の詠み方や恋の駆け引きを学んだのでしょうね。
ところでこの時代、「代筆業」って当たり前に存在していたのでしょうか。NHKの大河ドラマでは、主人公の紫式部が代筆のアルバイトをしている場面が出てきます。いつの時代でも、歌が苦手な人は当然いる筈ですものね。
読んでくれてありがとうございます。『古今和歌集』と『伊勢物語』が密接な関係にあることがわかりますね。
NHKの大河ドラマでは、主人公の紫式部が代筆のアルバイトをしているのは、こうした例がヒントになっているのでしょうね。
代筆業と言えば、小川糸の『ツバキ文具店』を思い出します。いつの世にもありそうです。
『ツバキ文具店』、舞台となる鎌倉の街の雰囲気と相まって素敵なお話しですよね。続編の『キラキラ共和国』はまだ読んでおりません。久しぶりに読み返そうと思いました。心を交わし合う文化、言葉は形を持たないから文にして贈り物にする。伝え残して行きたいですね。
何でも自分でするに越したことがありませんが、代筆業はあってもいいかも知れません。そう言えば、思いを短歌にしてくれる仕事もあります。何にでも専門家がいていい。悪くありませんね。