《強烈な皮肉》

題しらす みつね

たのめつつあはてとしふるいつはりにこりぬこころをひとはしらなむ (614)

頼めつつ逢はで年経る偽りに懲りぬ心を人は知らなむ

「題知らず 躬恒
頼りにさせながら逢わないで年を過ごす偽りに懲りない心を人は知ってほしい。」

「(頼め)つつ」は、接続助詞で継続・反復を表す。「(逢は)で」は、打消の意味を伴った接続助詞。「(懲り)ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「(知ら)なむ」は、終助詞で願望を表す。
あなたは「逢おう」と言って、私に逢瀬への期待を持たせました。ところが、あなたはその言葉を実行せず、逢えない年月が徒らに過ぎていきました。あなたの言葉は偽りだったのですね。それなのに、私と言ったら、懲りずにその言葉を信じているのです。ですから、せめて、そんな私の心をあなたには知っていてほしいのです。
前の歌に対抗して作ったのだろうか。ならば、次のように考えたのだろう。「自分の言葉に責任を持たない女は、『頼めし言ぞ命なりける』などと言っても、いい気にさせるだけである。一歩踏み込んで、相手の不実を指摘して思い知らせなければわからない。」と。ここまで言うのだから、もはや心変わりは期待しておらず、せめて一矢報いなければ気が済まなかったのだろう。
「頼めつつ逢はで年経る偽り」は「頼め」「逢は」「経る」と動詞を連ね、「偽り」掛けることで濃い内容を表している。これが相手への強烈な皮肉になっている。編集者は、この凝縮した表現と内容とを評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    なるほど「ひとはしらなむ」、「人」と突き放しているのですね。反故にされ続ける約束、とうの昔にその言葉に真がない事はわかっている。それでも畳み掛けられる「頼め」。そんな言葉に首肯して見せる私の心があなたに分かりますか?と。言い尽くせない、言い尽くさない思いを歌に託す恋の駆け引き、洗練された知のゲームを見ているようです。

    • 山川 信一 より:

      恋は「洗練された知のゲーム」でもあるのですね。あるいは、言葉による心理戦でもあります。相手の心を読み、言葉で仕掛けていきます。目的は時々刻々変わっていきます。目的が恋の成就でなくなることさえありそうです。

  2. まりりん より:

    動詞が重なると重たく感じるから好ましくないと思っていましたが、ここでは意図的にそのようにして印象付けているのですね。
    偽りだとわかっていても信じてしまう、信じたいと思う気持ち、有りだと思います。この恋のお相手も、作者に言われる前にそのことをわかっているのではないでしょうか。指摘されて後ろめたく感じるか、開き直るか。。

    • 山川 信一 より:

      歌作りのセオリーはあります。動詞を少なくすることもその一つです。おっしゃるように重くなったり、あるいは、印象が散漫になったりするからです。しかし、それにのみこだわればいいと言うのもでもありません。『古今和歌集』の歌はそれを証明しています。いつでも、常識に挑戦しています。内容に合わせる故の形式なのですから。
      恋の相手は、作者に指摘されようと動じないでしょうね。恋は義務じゃありませんから。

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