《恋はわりなきもの》

寛平御時きさいの宮の歌合のうた よみ人しらす

わりなくもねてもさめてもこひしきかこころをいつちやらはわすれむ (570)

理無くも寝ても覚めても恋しきか心を何方やらは忘れむ

「寛平御時の后の宮の歌合の歌  詠み人知らず
むちゃくちゃに、覚めても恋しいことか。心をどこにやれば忘れるのだろうか。」

「(わりなく)も」は、係助詞で下の「か」と呼応して詠嘆を表す。「(恋しき)か」は、終助詞で詠嘆を表す。「(何方やら)ば」の「ば」は、接続助詞で仮定を表す。「(忘れ)む」は、推量の助動詞「む」の連体形。
むちゃくちゃに、寝ても覚めても恋しいことだなあ。自分で自分がわからなくなる。まるで心がまったく自分の言うことを聞いてくれない。こんなことなら、いっそのこと心をどこかにやってしまいたい。でも、どこにやれば、あの人を忘れることができるのだろうか。見当も付かない。ああ、なんと恋は、わりなきものであることか。
今の自分の思いをそのまま述べたようだ。それとも、恋人に贈って、同情を買おうとしているのだろうか。しかし、このまま、恋人に贈っても心を動かせるかは、少々心許ない。恋人への働きかけがないからだ。
「わりなく(も)」は、文法上は「恋しきか」に係る。しかし、意味上は「心を何方やらは忘れむ」にも係っている。そのことで、この歌はテーマが恋のわりなさであることを示している。世の中にはわりなきことが沢山あるけれど、その中でも恋は最たるものである、道理を超えたものが恋なのだと言うのだ。こうして、この歌は恋の一面を捉えている。編集者は、その点を評価したのだろう。
なぜ「詠み人知らず」なのか。寛平御時の后の宮の歌合の歌であれば、作者の名はわかっているはずだ。ならば、何らかの意味で名前を出すことが憚られたのだろう。しかし、身分の低い者とは考えられない。そんな者がここに呼ばれるはずがないからだ。ならば、むしろ高貴な方なのではないか。

コメント

  1. まりりん より:

    この時、作者は誰かを慕っている真っ最中だったのかも知れません。そして正直な気持ちをそのまま歌にした。だから、詠み人知らずにしたように思いました。

    • 山川 信一 より:

      『古今和歌集』の編集は、作者個人の思いとは別にあります。編集者が「寛平御時の后の宮の歌合の歌」を引用する時に何らかの事情があったのでしょう。いろいろ想像してみましょう。

  2. すいわ より:

    「わりなくも」、頭で考えてどうにかなることではない、思考を手放した夢の中でも、そこから寝覚めた現実でも、頭の中に恋しく思う気持ちがこびりついて離れない。この苦しさから逃れるには何処かへ私の心をうちやってしまえば解放されるのだろうか、、。誰かに贈ったというよりは「今の思い」を率直に歌ったのではないかと感じました。だからこそ立場上、高貴な方の現在進行形の恋心は社会的な影響を鑑みて「よみ人しらす」としたのではないかと思えました。

    • 山川 信一 より:

      確かにこれは正直な思いですね。それが憚られる事情があったのでしょう。となれば、身分と考えたくなりますね。

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