題しらす 読人しらす
あきのたのほのうへをてらすいなつまのひかりのまにもわれやわするる (548)
秋の田の穂の上を照らす稲妻の光の間にも我や忘るる
「秋の田の穂の上を照らす稲妻の光のわずかな間にも私はあなたを忘れるか。」
「秋の田の穂の上を照らす稲妻の」は、「光」を導く序詞。「(我)や」は、係助詞で反語を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「忘るる」は、下二段活用の動詞「忘る」の連体形。
田に稲が実る秋になると、あなたもご存じのように稲光が田を照らします。ただ、照らすのは、ほんの一瞬です。しかし、そんな短い時間にも私はあなたのことを忘れることがありましょうか。忘れることなど決してありません。あなたはいつも私の心にいます。そして、雷鳴のように私の心を轟かせています。
作者は、序詞に稲妻という具体物を持って来た。それによって、恋人に短い時間をイメージさせるためである。その上でそれを否定して、自分が恋人のことを一瞬たりとも忘れないと言う。たとえは、読み手にふさわしいものが用いられる。ならば、田の穂を出してきたところから、少なくとも、恋人(作者もそうかもしれない)は郊外に住んでいるのだろう。
前の歌とは、「秋の田の穂」繋がりである。この言葉は、イメージ喚起力が強いのだろう。そのバリエーションの一つである。天文を利用するたとえはいくつもある。たとえば、「太陽が西から昇っても」とか「空に太陽がある限り」とか。そうなると、陳腐にならないために独自性が求められる。その点、「稲妻の光」は、鋭い目の付け所である。編集者は、序詞が効果的なたとえになっている点を評価したのだろう。
コメント
ほんの瞬きする間すらあなたを忘れる事はないと「稲妻」を持ってくる。輝く稲穂の色と稲妻の色が呼び合います。そして書いていて思ったのですが、稲妻は「稲の妻」なのですね。
実りと、露わになった心をイメージする稲穂、雨水に育まれ実ったそれは恋の成就を思わせます。
光る稲妻とそれに照らされた稲穂が目に浮かびます。効果的な序詞(たとえ)ですね。しかも、「稲妻」に「妻」を掛けていて、実った稲穂が恋の成就を暗示するようにも思えますね。
稲穂に稲妻。稲妻の光で稲が実る。力強くて、生命力を感じます。多少の障害では諦めないと。こういう恋愛は応援したくなってしまいます。稲穂が実るように、恋が実ると良いですね。
「稲妻の光で稲が実る。」と言いますね。確かに、この歌からは、力強さや生命力を感じますね。「我や忘るる」の反語も効いています。確かに、応援したくなりますね。