昔、男、女をいたう恨みて、
岩根ふみ重なる山にあらねどもあはぬ日おほく恋ひわたるかな
昔、男が女をひどく恨んで、
〈あなたの心は、根が生えたように動かない大きな岩(「岩根」)が踏み重なる山ではないけれど、あなたがつれなくて逢えない日が多く、あなたをずっと恋い続けています。〉
一応歌は贈れるのだから、前段と同じ女ではなかろう。恨むとあるから、女が逢おうと思えば、逢えるのである。歌にも「あはぬ日おほく」とあるから、全く逢ってくれないわけではない。なかなか逢ってくれないのだ。そのため、男はいらだってる。そこで、女のつれない態度を「岩根ふみ重なる山」にたとえることで、逆に女の心を動かそうとしている。この発想が面白い。さて、女の心は動くか。
しかし、女には女の事情があるに違いない。逢えないのには訳があるのだろう。たとえば、別に男がいるのかもしれない。全く拒否はしていないのだから、この男もキープしておきたいのかもしれない。
一方、男は自分のペースで恋を続けたい。だから、何とか自分のペースに持ち込もうとする。恋は駆け引きである。前段とは、逢えない恋というテーマでつながっている。
コメント
七十二段にも「忙しい」女、いましたね。あちらは海、こちらは山。対にして見ると面白いです。本人達は面白くないでしょうけれど。頑として動かない岩に例えられて、女はかえって気を悪くしそうです。「ふみ重なる山」が「文 重なる山」に見えてきて、文の行き来はあるのに何故逢ってくれないのだろう?と文机の前に座ってくさっている男の姿を思い浮かべてしまいました。
なるほど!いつも通り見事な解釈です。「文 重なる山」ですか!
男の姿が生き生きと目に浮かんできます。
岩にたとえることで、「そんなことないわ」と言わせたかったのでしょう。さすがの男も、いつも思い通りにはいきませんね。