題しらす 読人しらす
あさなあさなたつかはきりのそらにのみうきておもひのあるよなりけり (513)
朝な朝な立つ川霧の空にのみ浮きて思ひのある世なりけり
「毎朝立つ川霧のように空にばかり浮いて思いがある世であることだなあ。」
「朝な朝な立つ川霧の」は「そら」を導く序詞。「世」は、〈男女の仲〉の意。「なりけり」の「なり」は、断定の助動詞「なり」の連用形。「けり」は、詠嘆の助動詞「けり」の終止形。
このところ、毎朝毎朝、川霧が立っています。そんな秋になりました。秋は、それでなくても物思いに耽る季節です。あなたに恋する私なら尚更のこと。私の心は、あの川霧が空に浮いて漂うように、我が身を離れてばかりで落ち着かない状態になっています。私とあなたの間柄はこんな思いに支配されているのでした。あなたにも、わかっていただけますか。落ち着かせることができるのはあなただけなのですよ。
恋は、季節と共にある。この時は川霧の立つ秋であった。作者は、それを序詞に詠み込む。その結果、川霧から受ける寂しい季節感が生かされ、訴える思いにリアリティが加わった。編集者は、季節感の生かし方、序詞の用い方を評価したのだろう。
コメント
前回の歌が過酷な環境下にあってもどっしりと地に根を下ろしている松に例えたのに対して、今回の「川霧」は形が定まらず思いだけが抜け出して漂っているような覚束なさを感じさせます。また、季節感とあいまって目覚めるたびの独寝の肌寒さも読み手に共有、歌を贈った相手に暗に逢瀬を請うているようにも思えます。
編集者は「岩」という固体から対照的に「霧」という液体・気体を意識的に持ってきたのでしょうね。確かさと不確かさ。上手い取り合わせです。
「秋の独寝の肌寒さ」→「共寝」の誘い。心だけではなく、体も寒いのですね。納得しました。
空気と混ざって漂っている川霧が、恋の覚束なさ、儚さを思わせます。時間が経ったら消えてしまう、、そんな不安な気持ちを感じます。前の歌の「岩」に現れていたどっしりとした前向きさと対照的ですね。
「空気と混ざって漂っている川霧」と言うと、空気と川霧が別にあるように思えます。霧は、空気中の水蒸気が凝結して細かい水滴となり、地表近くの大気中に煙のようになっているものを言います。つまり、空気の一部です。また、「恋の覚束なさ」はいいとしても、「儚さ」「時間が経ったら消えてしまう、、そんな不安な気持ち」を言いたいのなら、〈露〉の方がいいのではないでしょうか?
近藤芳美のこんな短歌があります。「たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき」霧は白いベール、自分と恋人を遮るもの、そして、時にドラマチックなものです。