《見事なたとえ》

題しらす 読人しらす

ちはやふるかものやしろのゆふたすきひとひもきみをかけぬひはなし (487)

ちはやぶる賀茂の社の木綿襷ひと日も君をかけぬ日はなし

「賀茂の社の木綿襷のように一日も君を心に掛けない日は無い。」

「ちはやぶる」は、「賀茂の社」の枕詞。「ちはやぶる賀茂の社の木綿襷」は、「かけ」を出す序詞。「(かけ)ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。これが以下の「なし」と合わさって二重否定になっている。二重否定は強い肯定である。
荒々しい神に奉仕するために賀茂神社の神官が毎日必ず掛ける木綿襷。それと同じように一日だってあなたを思わない日はありません。私はあなたを神のように崇め奉っております。
形の無い心を伝えるには何かにたとえるのが効果的である。その場合、いかに陳腐ではない斬新なたとえであるかが決め手になる。この歌では、賀茂神社の木綿襷が読み手の目に浮かび、読み手は自分への思いがその行為に匹敵するという言葉に驚いたに違いない。その結果、心奪われたか、大袈裟だと引いてしまったか。いずれにせよ、見事なたとえである。
恋の贈答歌は、その表現を通して作者の知性と感性の程が読み手に伝わる。読み手は、それによって、作者の人となりと自分への思いの程を知る。それが今後の自分の態度を決める。歌は何とも優れた恋のアイテムではないか。

コメント

  1. まりりん より:

    神に仕える際に神官が掛ける木綿襷。この女性を神のように尊く大切に思う気持ちが伝わってきます。そして、やはり神のように遠く手の届かない存在なのでしょうか。君 だから、もう少し親しい間柄かな。。

    • 山川 信一 より:

      君とあるので、身近な存在です。最も言いたいことは、「ひと日も君をかけぬ日はなし」です。「賀茂の社の木綿襷」による「神のように崇め奉って」は、何となく伝わればいい程度のものです、

  2. すいわ より:

    「ちはやふる」から始まる歌、業平の歌が有名ですが、この歌も神職の襷と掛けて1日たりともあなたを思わぬ日は無い、と情熱的ですね。賀茂神社というと葵祭を連想、「斎王→伊勢物語」「勅使代→源氏物語」と、業平の姿を思い浮かべてしまいます。

    • 山川 信一 より:

      この後の物語を生み出したのが『古今和歌集』であることが実感できますね。『古今和歌集』の影響力の強さを改めて思わされます。

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