《共感に訴える》

人の花山にまうてきて、ゆふさりつかたかへりなむとしける時によめる  僧正遍昭

ゆふくれのまかきはやまとみえななむよるはこえしとやとりとるへく (392)

夕暮れの籬は山と見えななむ夜は越えじと宿り取るべく

「人が花山にやって来て、夕方帰ってしまおうとした時に詠んだ  僧正遍昭
夕暮れの垣根は山と見えてしまって欲しい。夜は越えまいと宿を取るように。」

「(見え)ななむ」の「な」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形。「なむ」は、願望の終助詞。ここで切れる。以下は倒置になっている。「(越え)じ」は、打消意志の助動詞「じ」の終止形。「(取る)べく」は、推量の助動詞「べし」の連用形。
知人が我が花山寺にやって来た。夕方になると、どうしても帰ると言う。そこで詠んだ。
あなたは、夕暮れの垣根のシルエットは山と見間違えてしまってほしい。そうしたら、夜に山を越えるのはやめよう、この寺に宿を取ろうと思うだろうから。せっかく来たのだから、泊まっていってください。
様々な離別がある。これは、訪問客が帰って行く際の離別である。作者には夕闇に垣根のシルエットが山に見えた。ならば、客も同様だろう。そこで、作者は客の共感に訴えた。この思いを素直に表現すれば、帰ってほしくない気持ちをわかってもらえ、きっと泊まっていってくれるだろうと。この歌は、間接的に「今日はもう遅いから、泊まっていってください。」と宿泊を促す気持ちを表している。

コメント

  1. すいわ より:

    垣根が山に見えるわけないのですよね。それを敢えて行手を阻むものとして相手にも見て欲しい。そもそも垣根は外から入るものを防ぐのであって、外へ出ようとするものを止めるものでもない。
    客人は日が傾いてきて、あまり長居をすると主人に食事など気を使わせかねない、と暇乞いをしたのでしょう。まぁまぁ、そう言わず、と引き留められるよりも、こんな風にこじつけてでも泊まって欲しいと乞われたら、気持ちよく「お言葉に甘えて」と泊まっていってくれたのではと思います。

    • 山川 信一 より:

      籬は柴や竹を編んで作った垣根ですから、形状からしても山に見えるはずがありません。作者の願望がそう思わせたのでしょう。「籬は山と見えななむ」とありますから、他者にそれを強いるのは無理があるとも思っているようです。一方で、そう言われると、「それも有り得るかな?」と思えてきませんか?私には、山のようなシルエットが想像できます。そう思って欲しいという願いを感じるからかも知れません。

  2. まりりん より:

    暗くなっていく空を背景に垣根が黒く浮かび上がり、山の輪郭と重なる様子が目に浮かびます。
    子供の頃、夕暮れに山を眺めていると、日が暮れるにつれて黒い山が大きく迫ってくるように感じて恐怖を覚えたものです。
    この歌は、訪ねてきた客が帰ってしまうことの「寂しさ」よりも、夜道をを帰るのは危険だから泊まるように促す作者の「気遣い」を感じます。

    • 山川 信一 より:

      当時の夜は現代とは比べものがないほど暗かったでしょう。夜道を帰ることは怖くもあり、危険でもありました。ならば、暗くなったら、泊まっていくのが普通だったのでしょう。しかし、それでも客は帰ると言い、主人はそれを引き留めるという形をとるのが礼儀だったのかも知れません。その場合、いかにスマートに引き留めるかが腕の見せ所になります。僧正遍昭はさすがの歌を詠みました。

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