《ためらいの紅葉》

題しらす よみ人しらす

ふみわけてさらにやとはむもみちはのふりかくしてしみちとみなから (288)

踏み分けて更にや訪はむ紅葉葉の降り隠してし道と見ながら

「踏み分けで更に訪ねようか。紅葉葉が降り隠してしまった道と見ながら。」

「更にや」の「や」は、係助詞で疑問を表し、係り結びとして働き、文末を連体形にする。「訪はむ」の「む」は、意志の助動詞「む」の連体形。ここで切れる。以下は倒置になっている。「隠してし」の「隠し」は、四段活用の動詞「隠す」の連用形。「て」は、意志的完了の助動詞「つ」の連用形。「し」は、過去の助動詞「き」の連体形。
友の家を訪ねようと思う。ところが、その道は紅葉が降り敷いて隠れている。更に紅葉を踏み分けて行こうかどうかためらってしまう。なぜなら、その道は、紅葉が友の意を汲んで降り隠してしまった道と見るからである。
友の心を推し量ることによるためらいを詠んでいる。会いに行きたいけれど、果たして友はそれを望んでいるのか、自分の思いを受け入れてくれるのか、友と自分の思いとは釣り合っているのか、この落ち葉が道を隠しているのは、友が自分に会うのを拒絶しているからではないか、それとも、敢えて踏み分けてでも会いに行けば、その強い思いを喜んで貰えるのか。紅葉に意志を感じてしまうほど思いは千々に乱れ、ためらわれるのである。友人関係に伴う思いは、恋愛関係のそれと変わらず、いつの世も繊細なものである。

コメント

  1. すいわ より:

    「あきはきぬ、、、 」の歌の後にこの歌を持って来るところが心憎いです。
    ひと足ごとにさくりさくりと音のする道。その音を「来ないで欲しい」と聞くか「道無き道であっても来て欲しい」と取るか。友ならば「用もないのに突然来て」と言われても、目の前の紅葉を共に愛でられる事を思えば訪ねていって欲しい。それぞれがそれぞれの紅葉を見て美しいと感じる以上の発見がきっとあるでしょうから。
    「踏み分けて」と冒頭に持って来るあたり、迷いながらも紅葉の道をこれから行くよ、と伝えているように思いました。

    • 山川 信一 より:

      そうですね、この歌集の構成の巧みさを感じます。前の歌は山里に引き籠もっている人の心を、この歌は、その人を訪ねる人の心を詠んでいます。編者の心が伝わって来ますね。
      作者は、迷いながらも、結局は訪ねて行ったことでしょう。「踏み分けて」で始めているのですから。

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