これさたのみこの家の歌合によめる たたみね
ひさかたのつきのかつらもあきはなほもみちすれはやてりまさるらむ (194)
久方の月の桂も秋は猶紅葉すればや照りまさるらむ
「是貞親王の家の歌合に詠んだ 忠岑
月の桂の木も秋はやはり紅葉するので、月はいっそう照り勝っているのだろうか。」
「ひさかたの」は「天」「雨」「日」「月」などに掛かる枕詞。「月の桂」は月に生えていると言われる伝説の木。「紅葉すればや」の「ば」は原因理由を表す接続助詞。「や」は、疑問の係助詞で、係り結びとして働き、文末を連体形に変える。「らむ」は、現在推量の助動詞の連体形で、原因理由の推量を表す。
大空の彼方にある月。同じ月であるはずなのに、他の季節と違って、秋の月のなんと明るく美しく照り輝いていることか。一体なぜなのか。それは、月に生えているという伝説の巨木である桂の木が秋には、地上の木と同様に赤や黄に紅葉して照り映えるからではないだろうか。多分そうなのだろう。つまり、月の桂の紅葉が月をあれ程美しく見せるのだ。
秋は月が美しく見える季節である。その感動をどう表現すべきか。そこで、その理由を月の桂の紅葉に求めたのである。読み手に「なるほど、そんな理屈も成り立つな。」と思わせることで、赤く染まった月の色を想像させている。
いかにも、歌合わせの歌らしい機知に富んだ歌である。しかし、あくまでも、理屈は感動を伝えるための手段である。それに成功しているかどうかが歌の評価の決め手になる。この歌はそれに成功している。秋の照り映える月の姿が目に浮かんでくる。
コメント
皆が知っている、でも誰も見たことのない天空の大木。その葉が黄金に色付き、煌めき輝く様が思い浮かんでしまいます。秋空に浮かぶ月が殊更美しいのはだからなのだと。恐れ入りました。
何とロマンチックな理屈でしょう。誰でもが納得してしまいます。そう思えば、月の光がいっそう味わい深いものに思えてきます。