《引き留めるために》

題しらす  みくにのまち

やよやまてやまほとときすことつてむわれよのなかにすみわひぬとよ (152)

やよや待て山郭公言伝てむ我世中に住みわびぬとよ

「題知らず  三国町
ねえ、待って。山郭公よ。伝言を頼もう。私は世の中に住み悩んでしまったとね。」

「やよや」は、感動詞で、呼びかけを表す。「やよや待て」「山郭公」「言づてむ」と三度切れる。「我世中に住みわびぬと」は倒置になっている。「住みわびぬ」の「ぬ」は完了の助動詞の終止形。始まりを表す。「よ」は間投助詞で、相手の注意を呼び起こしている。
山に帰る郭公を呼び止め、山籠もりしている友に自分の近況を伝えるよう、伝言を頼んでいる。ただし、真意は別にある。こう言うことで次のような思いを表している。
私は、今世の中に思い悩み始めた。その理由はもちろんお前がいなくなるからだ。その思いの強さは、山籠もりしている友にその悩みを訴えずにはいられないほどだ。それなのに、お前は、そんな私を見捨てて山に帰っていこうとするのか。お前が山に帰るのがどれほど寂しく悲しいか、お前にもわかるよね。どうかその思いを察して、山に帰らないでおくれ。
山に帰る郭公への思いをこう表現したのである。表現と思いが一致するとは限らない。むしろ、一致しない方が普通である。三度の切れは、倒置法と共に、突然郭公が山に帰ることを知り、作者が取り乱し慌てている様を表している。貫之は、この歌が表現形式によって思いを表していることにオリジナリティを認めたのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    これはおもしろいですね。慌てた様子の人に言付けを頼まれる郭公、託された言葉をしかと伝える。それを聞いた人の顔を思い浮かべてしまいました。あぁ、お前は何も解っちゃいないのだな、お前が帰って来るから悩んでいるというのに、その気持ちも知らないで。その表情を見て、郭公は何か深刻そうだ、と思うのでしょうか。まわりくどさがまた、じれた感じを醸し出しているように思います。

    • 山川 信一 より:

      郭公の底後の行動、受け取った人の顔まで想像されたとは!深く味わっていますね。

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