《夏に貴重な鳥》

題しらす よみ人しらす

いまさらにやまへかへるなほとときすこゑのかきりはわかやとになけ (151)

今さらに山へ帰るな郭公声の限りは我が宿に鳴け

「せっかく出て来たのだから今更山へ帰るな、郭公よ。声が出る限りは我が家で鳴け。」

「帰るな」と「郭公」で二度切れている。「帰るな」の「な」は禁止の終助詞。「鳴け」は「鳴く」の命令形である。二重に命令している。
郭公は、盛夏になると山から里に下りて来て鳴く。ただし、一所には留まらず、あっちに行きこっちに行きする。そして、ついに鳴かなくなり、また山に帰っていく。作者は、その習性に対して、注文を付けている。「暑く堪えきれない夏に心癒やされるのは、お前の鳴き声ぐらいのものだ。だから、お前が山に帰ってしまったら、私はどうやってこの夏を過ごしたらいいのか。山に帰るな。我が家にいて、声の限り鳴き続けろ。お前の声を独占したいのだ。」と言う。郭公への、その強い思いを二重の命令形で表している。
夏という季節に於ける郭公の存在感の強さが伝わってくる。

コメント

  1. すいわ より:

    待ち侘びてやっと鳴き声を聞いたと思ったらまた何処かへ行ってしまう。煩わしい夏の一服の清涼、どうにかして留まらせたい。こちらの気持ちなど推しはかるべくもなく郭公は遠近に鳴く。でも、だからこそ求める気持ちが高まるのでしょう。ずっと留まって鳴き続けたらそれはそれで夏を思い知らされてうんざりするのでしょうに。

    • 山川 信一 より:

      それにしても、どうしてここまで郭公だけに拘るのでしょう。夏と言えば、他にも様々な事物が有りそうなものなのに。たとえば、蝉。うるさいばかりで、平安の風流にはそぐわなかったのでしょうか?確かに夏の花は少ない。緑も万緑というように圧倒されるばかりです。郭公に拘ることで、それぐらいしかない夏の趣を表しているのかも知れませんね。郭公という題材は、夏という主題のために用意されているのでしょう。

      • すいわ より:

        本当に郭公尽くしで私もどうしてだろうと思いました。「暑い!」と口に出すのも憚られて、言霊で暑さを呼び込まないようにする為に「郭公」と言っているのかと思ってしまいました。

        • 山川 信一 より:

          題材を極端に絞ることで、春や秋との違いを際立たせようとしているのかも知れませんね。その一方で、暑いこと自体を避けようとしているみたいですね。

  2. らん より:

    私も思いました。ここまで郭公かと。
    郭公が大好きなのですね、きっと。
    蝉は平安にはそぐわなかったのですかねえ。。。
    興味深いです。

    • 山川 信一 より:

      平安時代の美意識を表しているようですね。夏という季節の味気なさも同時に。

タイトルとURLをコピーしました