第百八段　　寸暇を惜しむべし

　寸陰惜しむ人なし。これよく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠る人のために言はば、一銭軽しといへども、是をかさぬれば、貧しき人を富める人となす。されば、商人の一銭を惜しむ心、切なり。刹那覚えずといへども、これを運びてやまざれば、命を終ふる期、忽ちに至る。されば、道人は、遠く日月を惜しむべからず。ただ今の一念、むなしく過ぐる事を惜しむべし。もし人来りて、我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るるあひだ、何事をか頼み、何事をか営まん、我等が生ける今日の日、なんぞその時節にことならん。一日のうちに、飲食・便利・睡眠・言語・行歩、やむ事をえずして、多くの時を失ふ。その余りの暇幾ばくならぬうちに、無益の事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟して時を移すのみならず、日を消し、月をわたりて、一生を送る、尤も愚かなり。謝霊雲は法華の筆受なりしかども、心、常に風雲の思ひを観ぜしかば、慧遠、白蓮の交りを許さざりき。暫くもこれなき時は、死人におなじ。光陰何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まん人は止み、修せん人は修せよとなり。

謝霊雲：中国、六朝時代宋の詩人。
筆受：経文翻訳の時、これを漢文に書き綴る役。
慧遠：中国東晋の人。
白蓮：慧遠を中心とした宗教団体。

「ほんのわずかな時間を惜しむ人はいない。これは、よく知っているのか、愚かなのか。もし愚かなので怠けて過ごす人のために言うならば、一銭は軽いけれと、これを積み重ねていると、貧しい人を富んだ人にする。だから、商人の一銭を惜しむ心は、ひたすらなのだ。一瞬間は意識しないと言っても、これを次々と動かし続けて止めないと、命を終える時期がたちまち到来する。だから、仏道を修める人は、遠い将来までの日月を惜しもうと思うべきではない。ただ今の一瞬が無駄に過ぎる事を惜しむべきだ。もし人がやって来て、私の命が明日は必ず失われるに違いないと告げ知らせたとしたら、今日の日が暮れる間に、何事を頼むだろうか、何事を営むだろうか、我等が生きている今日の日は、どうしてその時と異なるだろうか。一日のうちに、飲食・便通・睡眠・談話・歩行は、やむを得ないこととして、それで多くの時間を費やし失う。その余りの暇が大して無い中に、無益な事をして、無益な事を言い、無益な事を考えて時を過ごすばかりでなく、一日を空費し、その日を幾月にも跨がって、一生を送るのは、もっとも愚かである。謝霊雲は法華教の訳文を筆録した人であるが、心は、常に出世の野心を抱いていたので、慧遠は、白蓮社の仲間入りを許さなかった。少しの間も、時を惜しむ心の無い時は、その人は死人と同じだ。光陰は何のために惜しむのかと言うならば、心の内に無駄なことを考えることなく過ごして、外に世間の俗事を無くして、それで満足する人はそこで止め、仏道修行しようとする人はしなさいというわけなのだ。」

「寸陰惜しむ」ことの道理を知らない愚かな人のために書かれている。確かに、自由に使える時間は少ない。飲食・便通・睡眠・談話・歩行などやむを得ない時間を除けば、わずかし残っていない。ならば、それを空費するのは、愚かだとしか言いようがない。ただし、そのわずかな時間を謝霊雲のように俗世間での出世のために使うべきではない。その道理を知った上で、自分の納得の行く生き方をせよ。時を惜しむのは、自由に生きるためである。兼好はこう言うのである。これはもっともな道理である。「これよく知れるか、愚かなるか。」の「よく知れるか」は皮肉だろう。この通りを知りつつ、時間を惜しまないなら、どうぞご勝手にと言う訳である。
それにしても、『徒然草』には、くどいほどこの種のお説教が多い。よほど、法師たちは、目に余る時間の使い方をしていたのだろう。それに対して、現代人は、「時は金なり」と時を惜しむ。しかし、これは兼好が批判する謝霊雲の生き方に近い。
謝霊雲について、「筆受なりしかども」「観ぜしかば」「許さざりき」と直接経験を表す「き」が使われている。これは、自らの経験のように語ることで、強く印象づけようとしたからだろう。