《桜を散らす鶯》

うくひすのなくをよめる そせい

こつたへはおのかはかせにちるはなをたれにおほせてここらなくらむ (109)

木伝へば己が羽風に散る花を誰に負せてここら鳴くらむ

「鶯を詠んだ  素性法師
枝伝いするから自分が立てた羽の風で散る花なのに、誰のせいにして、たいそう鳴いているのだろう。」

「花を」の「を」は、逆接の接続助詞。「花なるを」の「なる」が省略された形。「鳴くらむ」の「らむ」は、現在推量。眼前の事実の原因理由を推量している。
鶯を主役にした歌である。桜の花が散る中、鶯が鳴きながら目まぐるしい早さで枝伝いしている。それを見て、作者は次のように思う。鶯が目まぐるしく動き回るために羽風が起こる。その羽風よって、桜が散っている。それなのに、鶯は自分が散らしているという自覚もなく、散るのを誰かのせいにして泣いている。泣くぐらいなら、少しじっとしていたらいいのに。
この歌は、いわゆる写生句ではない。しかし、花の散る中、鶯が枝を目まぐるしく移動しながら鳴いている様子が目に浮かぶ。表現には、様々な形があっていい。客観写生にこだわる必要はない。

コメント

  1. すいわ より:

    「ここら」は「この辺りで」でなく「たいそう」という意味なのですね。おっしゃる通り、枝えだを鳴き渡る鶯が思い浮かびます。実際にそうした様子を見るとむしろ楽しげに見えるのですが、自身の羽ばたきによる風で桜を散らしているにも関わらず、それには気付かずに、あぁ、あちらもこちらも花が散って行くと嘆いている、と見立てる。105番の歌の「私」が鶯になっているみたいだと思いました。

    • 山川 信一 より:

      「ここら」は「ここだ」とも言い、程度の甚だしい様を表します。
      散る桜への思いには、様々ありますね。鶯を絡ませると、こんな風にも表現できるのですね。

  2. らん より:

    鶯くん、桜を散らしているのは君だよ、君君。
    と、言いたくなりました。
    鶯がチョンチョンと枝を伝ってパタパタしている様子が見えました。

    • 山川 信一 より:

      情景が思い浮かぶ上に作者の気持ちがよく伝わってくる歌ですね。
      題材は同じでも様々な歌が作れることに驚きます。

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