亭子院歌合歌 つらゆき
さくらはなちりぬるかせのなこりにはみつなきそらになみそたちける (89)
桜花散りぬる風の名残には水無き空に浪ぞ立ちける
なごり:風がやんだ後、しばらく浪が静まらないこと。
ける:今まで気づかなかった事実に気づいて感動する意。
「桜の花が散ってしまった風の名残には、水の無いはずの空に浪が立っていることだなあ。」
風が桜の花を散らす。その後吹くのをやめる。すると、花びらが空いっぱいに漂ったままになる。その様はまるで水が無いはずの空に白波が立ったかのように見える。
『古今和歌集』の歌は、題材を限定し、表現の技の粋を集めている。その中でも、この歌は抜きん出ている。空を海に花びらを浪に見立てている。大胆で斬新な発想である。この見立てによって、しばらくの間地に落ちず、空に漂う花びらの美しさを見事に表現している。歌合わせの歌ということで気合いが入っていたのだろう。
コメント
『土佐日記』一月十七日の「かげみればなみのそこなるひさかたのそらこぎわたるわれぞさびしき」を思い出しておりました。雰囲気は正反対ですが、無重力感とでも言うのでしょうか、天地空間の境目なく、自在に言葉で情景を描く貫之の歌。「題材を限定し、表現の技の粋を集めている」、『古今和歌集』、こんなにも実験的かつ挑戦的な試みだったのですね。
なるほど、『土佐日記』一月十七日の歌とは、発想の自由さで共通しますね。貫之の心はなんと自由なことでしょう。
表現は的確さと大胆さを兼ね揃えています。留まる所を知りません。この態度こそ見習いたいものです。表現を読み解くのにワクワクします。
さすが、貫行ですね。
空の海に桜の白浪が立つだなんて、恐れ入りました。素晴らしい発想ですね。
その奇抜な発想は決して奇を衒ったものではなく、感動をそのまま表しています。すなわち、表現と感動が一つになっているのです。誰もがこんな歌を読みたいと憧れます。
『古今和歌集』がその後1000年も影響を与え続けたのも頷けます。