さくらの花のさけりけるを見にまうてきたりける人によみておくりける みつね
わかやとのはなみかてらにくるひとはちりなむのちそこひしかるへき (67)
桜の花の咲けりけるを見に詣で来たりける人に詠みて贈りける 躬恒
我が宿の花見がてらに来る人は散りなむ後ぞ恋しかるべき
まうてきたりける:「まうでき」は、「来」の丁寧な言い方。参る。
「桜が咲いたのを見に来ました人に詠んで贈った 凡河内躬恒
我が宿の花見のついでに訪ね来る人は、桜が散ってしまった後にその人を恋しく思うに違いない。(もう訪ねてくれないだろうから。)」
少々皮肉っぽい内容である。我が宿を訪ね来る人は、美しい桜を見るのが主たる理由だ。私に会うことは、そのついでであり、その口実なのだ。だから、桜が散ってしまったら、もう来てくれないだろう。きっと恋しくなるに違いないと言うのだ。
しかし、訪ねる方の気持ちからすれば、訪ねる理由が無いと訪ねにくいものでもある。だから、作者はその気持ちがわかっていて、皮肉っぽい言い回しをすることで、訪ねる理由など気にしないで来てほしいと伝えているのだろう。
見事な桜は、人を呼び寄せる。しかし、その一方で人を遠ざけてしまう。それ以外の訪ねる理由を奪ってしまうからだ。桜は罪な花である。
コメント
「あたなりとなにこそたてれさくらはなとしにまれなるひともまちけり」この歌同様、今回の歌も移ろう桜を頼みに隠した心を伝えようとするのですね。言寄せる、言葉を寄せる。言葉は完璧なものではない、だからこそ、そのひとひらひとひらを選び集めて表現する。桜の花びらが集まってやっと一色を纏うのと似ています。だから桜に心惹かれるのでしょうか。
言葉と桜の花びらの類似、まさにその通りですね。
ささやかな言葉が集まって魅力を創り出す、桜の花びらと一緒ですね。