題しらす きのありとも
さくらいろにころもはふかくそめてきむはなのちりなむのちのかたみに (66)
桜色に衣は深く染めて着む花の散りなむ後の形見に
「桜色に衣は深く染めて着よう花が散ってしまった後の形見として。」
「題しらず」は、歌だけで解せよということを示している。作者は「紀有朋」とある。『古今和歌集』には、この歌の他にも一首載っている。友則の父ということで、名前を出して名誉を与えたのだろうか。「さくらいろに」が字余りになっている。字余りにしても、「花色」という語を使いたかったのだろう。ただし、読む時には、「サクラロニ」と発音したのだろう。
「む」が二回使われている。「む」は物事が未確定であることを示す助動詞である。この時点では、桜色の衣をまだ着ていないし、桜もまだ散っていない。もし散ってしまったら、桜色に深く染めた衣を着て、花を思い出して偲ぼうと言うのである。「深く」には、衣の花色は容易く移ろってほしくないという思いが込められている。したがって、この歌は、満開の桜を見ての感慨である。桜は、満開であっても散った後の寂しさを感じさせてしまう花なのだ。
コメント
桜の散ってしまった後の思い出としてでなく、今まさに咲き誇る桜を目の前にしてこの思いを歌っているのですね。上気したような花色は本当であれば心浮き立ちそうなものなのに、何か物寂しさを感じてしまうのは桜の儚さゆえでしょうか。「衣は深く染めて着む」、それを身につけた人の心の底まで桜の色に染まっていきそうです。
「深く」が利いていますね。今見ている桜の色のようにも、桜色の衣を「身につけた人の心」のようにも思えます。
満開の桜を見ても、散る儚さを思わずにいられない桜特有の感情を歌にしています。
寂しいですね。
桜の花は永遠に咲いていてもらいたいです。
でも、そうではないからこそ花は美しいのでしょうね。
深い桜色の衣を着ようと思わせるのも桜の魅力です。
この歌は、それを発見して詠んでいます。