《老いの感慨》

さくらの花のもとにて年のおいぬることをなけきてよめる  きのとものり

いろもかもおなしむかしにさくらめととしふるひとそあらたまりける  (57)

色も香も同じ昔にさくらめど年経る人ぞ改まりける

さく)らめ:現在推量の助動詞「らむ」の已然形。

「桜の下で年が老いることを嘆いて詠んだ  紀友則
 色も香りも昔と同じままで桜は咲いているのだろうけれど、年を取る人こそが前と変わって衰えることだなあ。」

友則は、『古今和歌集』の完成を見ないで亡くなったようだ。同歌集・哀傷歌に、その死を悼む歌が載っている。友則がこの歌を詠んだ時、既にかなりの高齢だったのだろう。美しい桜も人を一様に喜ばせる訳ではない。老人の中には、その変わらない美しさがかえって我が身の白髪や皺を嘆くきっかけになる者もいる。桜を巡る思いの一つである。
「さくらめ」のところに「桜」が入れてある。これは、「物名」と呼ばれる技巧である。

コメント

  1. すいわ より:

    桜が注目されるのは、やはり開花の時季。その姿は毎春変わらぬ美しさだけれど、さて、夏は?冬は?桜は桜の時間を生きてヒトはヒトの時間の中にある、ならば比べようもないはずですが、圧倒的な美しさに魅入られてしまったのですね。私ばかりが衰え行く、と。
    桜の幹にもたれ掛かって咲く花を見上げたのでしょうか?そのゴツゴツとした幹に支えられて花は咲ける。花だけが桜なのではないのと同様、若い時から一続きの年老いた友則だからこそ得られる境地もあるはず、と言ってあげたくなります。

    • 山川 信一 より:

      老いをどう受け止めるかは、人により、また年齢により違うのでしょう。友則は紀氏ですから、満開の桜を見ても、藤原良房のような心境にはなれなかったのもわかります。
      その上で悟る境地には至れなかったのですね。

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