世の人の心まどはす事、色欲にはしかず。人の心はおろかなるものかな。匂ひなどはかりのものなるに、しばらく衣裳に薫物すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ずときめきするものなり。
久米の仙人の、物洗ふ女の脛の白きを見て、通を失ひけんは、誠に手足・はだへなどのきよらに、肥えあぶらづきたらんは、ほかの色ならねば、さもあらんかし。
色欲:男女間の性的な欲望。色情。情欲。
薫物:着物などにたきしめるために香をたきくゆらすこと。
えならぬ:言うに言われない。なんともうっとりさせる。
通:神通力。仙術。ここでは空を飛ぶ力。
色:美しさ。華美。
「世の人の心惑わすことにおいて、情欲に勝るものは無い。人の心は愚かなものだなあ。匂いなどはほんの一時的なものなのに、しばらくの間衣裳にたきしめたものと知りながら、言うに言われぬ匂いには、必ず心ときめくものである。(だから)久米の仙人が、空から物を洗う女の脚の白いのを見て、神通力を失って墜落したとか言うのは、誠に手足・肌が美しく、ふっくらして皮膚につやが有るとしたら、女本来の美しさなので、それはもっともだよね。」
前段の長命への欲から性欲に話が移る。様々な欲の中で、性欲が最も人の心を惑わす。なるほど、欲には、他に食欲・名誉欲・権勢欲・知識欲など様々なものがある。しかし、それらの欲にはどこかに冷静さが働く。その欲のままに心が麻痺する事は少ない。ところが、性欲だけは、心が麻痺し、正しい判断力を失うことしばしばである。これは殊更根拠を示されなくても、多くの人は経験上納得できるだろう。確かに、冷めた目で見れば、人間はなんとも愚かな生き物だ。それどころか、人間を超越したはずの仙人でさえも女の健康的な美しさに心奪われ、神通力を失ってしまう。性欲とはかくも恐ろしいものなのだと言う。
なるほどもっともな内容ではある。薫物も女の匂いと混じるからこそ男を惑わすのだろう。まして、みずみずしく張りのある肌は言うまでも無い。女は存在それ自体が男を惑わすようにできている。もっとも、これは男の事情である。女はどうなのだろう。女版『徒然草』を誰か書いてほしい。それはともかく、問題はこの先だろう。だからなんだと言うのか。話は、次の段につながっていく。
コメント
「女の健康的な美しさに心奪われ」てしまう、抗い難い欲望に翻弄されてしまうのは仕方がない事だ、と言うのですね。人も生き物である限り滅びる方向への選択はしないのが自然で、そうした意味で考えれば、生命に満ちた(「美しい」は大きな羊、ですものね)対象に関心が向くのはいたって当たり前の事。そうでしょうね、それで?となりますね。
そこで六段七段、そうした自然に任せる事なく自分を律してこその「人」、と持っていくつもりなのでしょうか?
「香り」は人の五感の中で嗅覚だけは大脳辺縁系に直接結びついて、本能的行動や感情、記憶に作用すると言われていますよね。そんな知識がある筈ないのにそこに言及するのだから、「本能」恐るべし、です。
「性」は、「生」きようとする「心」です。それに逆らうことは、自然に逆らうことです。簡単にはいきません。しかし、「自然に任せる事なく自分を律してこその「人」」と言いたいのでしょう。その点で、第六段の「子を持つな」、第七段の「早く死ね」と繋がっていますね。
フェロモンも匂いの一種です。履き物は、それを効果的に働かせるために用いられたのでしょう。科学は経験を裏付けるだけで、経験がずっと先行していますね。