昔、武蔵なる男、京なる女のもとに、「聞ゆれば恥づかし、聞えねば苦し」と書きて、うはがきに、「むさしあぶみ」と書きて、おこせてのち、音もせずなりにければ、京より、女、
武蔵鐙さすがにかけて頼むには問はぬもつらし問ふもうるさし
とあるを見てなむ、たへがたき心地しける。
問へばいふ問はねば恨む武蔵鐙かかるをりにや人は死ぬらむ
この段を独立させて読むと、状況がつかみにくい。まず「聞ゆれば恥づかし、聞えねば苦し」がわからない。そこで、第十二段の続きとして読む。「聞ゆれば恥づかし、聞えねば苦し」は、〈浮気したことをあなたに申し上げると恥ずかしい、申し上げなければ苦しい〉として読める。男は京にいる女の元に浮気を告白する手紙を送ったのだ。
男は京の女を心から愛していた。だから、隠し事が嫌なのだろう。これはわかる。ただし、国守に捕まったのだから、男の仕業が都にも伝わったに違いない。女の知る可能性もある。そこで、男は申し開きをしなければならなくなったとも読める。
手紙の上書きに「むさしあぶみ(武蔵鐙)」と書いて送った。「むさしあぶみ」は馬具のことで、〈さすが〉や〈かかる〉に掛かる枕詞である。ここで、それを上書きに使っているのは、思わせぶりである。男の今の心境をそれとなく暗示したのだ。女に今の気持ちを察してほしいのだ。〈あなたがいるのに、浮気してしまい、さすがに恥ずかしく、苦しい。しかし、あなたの寛容な心に期待を掛けている。〉といったところだろう。〈武蔵からの文〉という意味も掛かっているかも知れない。
しかし、男はそれ以上何も言えなかったのだろう、それ以後手紙を送らなくなってしまった。女は、男から浮気を告白されても答えようがなかった。女は、そこで男からの次の手紙を待っていた。しかし、それは来ない。とうとうじれて自分から歌を贈ったのである。
「むさしあぶみ」は「さすが」に掛かる枕詞。〈さすがに私の身をあなたに掛けて頼りにしている私にとって、あなたの真意を聞かないのはつらいし、わざわざ聞くのも煩わしくて嫌だ。〉「うるさし」は〈わずらわしい・嫌だ〉の意。
〈正直に話してくれたことは嬉しいけれど、なぜそんなことになったのか聞かないのはつらい。しかし、わざわざ聞くのはうんざりだ。〉ということだ。これは、浮気を告白された女の普遍的な心情であろう。
男は、女の歌を読んで、耐えがたい気持ちになる。女の真意がわかると共に、自分のしたことの意味を思い知るからである。そこでその思いを歌にして贈る。
〈あなたが私の気持ちを問うので言う(すると、あなたをつらい思いにさせる)、あなたが問わないので恨む(すると、あなたを恨むのがつらい)。これでは、解決策がない。八方塞がりである。「むさしあぶみ」は、ここでは「かかる」に掛かる枕詞。こういう折(「かかるをり」)に人は死んでいるのであろうか、多分そうだろう。私は死ぬほどつらく感じている。わかってほしい。〉
愛が強いからこそ許せないこともある。愛と許しは時に矛盾するのだ。女が男を愛していればいるほど男を許せない。許せるとしたら、愛がそれだけのものだからだ。
ここで特徴的なのは、男と女が共通する言葉と表現でやり取りしていることである。すなわち、「むさしあぶみ」と〈AならばB、AでないならばC〉という表現である。敢えて、それにこだわることで、お互いの思いを伝え合う。これも普遍的な意思疎通の方法だろう。意地の張り合いの感もあるけれど。
それにしても、なぜ男は、たぶん女も、浮気をするのだろう。それは恐らくヒトとしての生物的な条件が関係しているに違いない。生物としての男は、メスを複数集めたがるし、女はより望ましい遺伝子を求めたがるからだ。しかし、愛するものは独占したいという気持ちは、いつの世も変わらない。男女どちらにとっても、浮気されるのはつらいのだ。ただ、浮気がなくなることはないに違いない。それゆえ、そこに〈ドラマ〉が生まれるのだ。恋愛がドラマの宝庫であるゆえんである。
コメント
まるでシーソーゲーム、ですね。あちらが上がればこちらが下がる。鎧って、馬に乗って足をのせるの、ですよね。
鎧のあちらとこちらが貴方と私ならいいのに。あちら側は、、。馬に乗るあなたは鎧に足を掛けているけれど、あちらこちらと傾いていると、馬から落ちましてよ、お気をつけ、、、あそばせ。
と言ったところなのでしょうか。「、、、」のところがこわいですね。
不安定な状態なのに素知らぬ顔で上手いこと乗りこなされるのも癪に触るのだろうし、でも、男にしたら安定を保つのが愛情?この無粋なまでに朴訥な男は、実は「恋」を背に乗せた馬だったりして。荷の重いことでしょう。手は2つあるのに心は1つしかない、、いえいえ、生きている間じゅう、心臓のあちらとこちらの部屋を行ったり来たり、、ドラマは止まりませんね。
なるほど、足を乗せるにはバランスが必要なのですね。そのイメージを踏まえているとは、気づきもしませんでした。
いつもながら素敵な鑑賞です。すいわさんなら、この話を原作にしてドラマが書けそうですね。是非挑戦してみてください。