おもひいでぬことなくおもひこひしきがうちに、このいへにてうまれしをんなごのもろともにかへらねばいかゞはかなしき。ふなびともみなこたかりてのゝしる。かゝるうちになほかなしきにたへずしてひそかにこころしれるひとといへりけるうた、
「うまれしもかへらぬものをわがやどにこまつのあるをみるがかなしさ」
とぞいへる。なほあかずやあらむ、またかくなむ、
「みしひとのまつのちとせにみましかばとほくかなしきわかれせましや」。
わすれがたくくちをしきことおほかれどえつくさず。とまれかくまれとくやりてむ。
問1「おもひいでぬことなくおもひこひしき」とは、どのような意味のことを言っているのか、説明しなさい。
問2「ひそかにこころしれるひとといへりける」とあるが、なぜそうしたのか、説明しなさい。
問3 次の歌を鑑賞しなさい。
①「うまれしもかへらぬものをわがやどにこまつのあるをみるがかなしさ」
②「みしひとのまつのちとせにみましかばとほくかなしきわかれせましや」
問4「とまれかくまれとくやりてむ。」とあるが、どのよう思いを表しているのか、簡潔に答えなさい。
問5 作者はなぜ『土佐日記』全体をこのような形で締めくくったのか、それについて考えを述べなさい。
殊更思い出そうとしなくても思い出され恋しく思うこと(問1)の中に、この家に生まれた女の子が一緒に帰らないので、そのことはどんなに悲しいことか。共に船で帰ってきた人々も皆子が集まって大声を出して喜んでいる。
こうしている内にますます悲しみに堪えられず密かにその心を理解してくれる人に向かって言った歌、(と言うのも、他の人には悲しみがわかってもらえないだろうし、帰京再会の喜びに水を差すようであるから(問2))、
「この家に生まれても帰らない者がいるのに、我が宿には新しく小松が生えてきている、それを見るのは、また、子どもと帰京を喜ぶ人々を見るのは、なんとも悲しいことだ。(土佐との別れを思い出してしまう。)」(問3①)
と言った。なおも、心が満たされないのだろうか、またこのように、
「かつて見た人を千年の齢がある松のように見ることができたら遠く悲しい別れをしただろうか、することなどはなかった。」「みしひと」は亡くなった子を意味しているが、土佐の人々も暗示している。それを懐かしく思えると言うのだ。(問3②)
忘れることが難しく残念なことも多いけれど、言い尽くすことはできない。とにかくこんなつまらぬ愚痴のような日記は直ぐに破ってしまおう。(もちろん、本気でそう思っている訳では無い。これは、形だけの卑下である。そんなつもりは毛頭ない。(問4))
『土佐日記』は、作者紀貫之の思いを書いたものである。その思いとは、主に社会批判と望ましい和歌のあり方を示すことである。社会批判の対象には、国司の堕落、舵取に代表される世間の人々の欲深さ、隣人に代表される非人情などが含まれる。和歌のあり方には、貴族社会で狭く限定された和歌に対する批判・革新が含まれる。和歌とは、生活の折々に生き生きと歌われるものであることを具体的に示している。
しかし、それを貫之自身が表だって書いているとは思われたくなかった。なぜなら、自分だけではなく、紀家一族に迷惑が掛かる恐れがあるからだ。だから、表面上は隠しておきたい。そこで、書き手は身近にいる女であることにして、メインテーマでは無い亡き子への悲しみを出してきたのである。ただし、この悲しみは単なるカムフラージュでは無い。貫之自身の経験に基づくものであり、嘘偽りの思いではない。しかも、亡き子は土佐に残して京には持ってくることができなかった、あの素朴な人々の人情を暗示している。「みしひと」は土佐の人々でもある。土佐への郷愁で締めくくっているのだ。
コメント
これでおしまいなのですね。京に帰り着いたのでそろそろとは思いましたが、こんなにもきっぱりと終わってしまって暫し唖然。「土佐への郷愁で締めくくっている」、なるほどそれで納得です。ちゃんと全て回収されている。ここまで時間の隔たりを感じる事なく内容に共感を覚える古典作品に触れた事、ありませんでした。この作品を教材に選んで下さった先生に感謝です。この作品、難しかったですが、先生の解説読みたさに何とか最後まで読み通せて嬉しいです。有難うございました。
お疲れ様でした。こちらこそ、すいわさんが問いにどう答えてくださるのか、毎回楽しみでした。とても勉強になりました。ありがとうございました。
「ここまで時間の隔たりを感じる事なく内容に共感を覚える古典作品に触れた事、ありませんでした。」とありますが、それこそ『土佐日記』が真の古典である証拠では無いでしょうか。
なぜなら、普遍性こそが古典と言える条件なのですから。『土佐日記』はいい意味でも悪い意味でも変わらぬ人間の姿を見せてくれました。
貫之の思いを今に生かしたいですね。
先生、終わっちゃいましたね。長い間お疲れ様でした。
また、たくさんのことを教えていただきありがとうございました。
この旅、いろいろなことがありましたね。
鳴門海峡はとても怖かったです。
強欲な人もたくさんいましたが、人情溢れる良い人もいましたね。
悲しいこともありました。
美しい風景にも出会えました。
天気が悪くて進めずイライラすることもありました。
京に着いた時の人々の喜びの歌はいっぱいできましたね。
私も嬉しくなりました。
古典で昔の人と心を通わせることができました。
人の心は昔も今も考えることはおんなじですね。
ちっとも古くないですね。
先生のおかげで古典がまた好きになりました。
先生のおかげで私は伊勢物語と土佐日記を読めますって自信を持って言えます。
本当にありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
最後までお付き合いくださってありがとうございました。
らんさんは、いつも気持ちを込めて、文章を読んでくれます。その場面がありありと思い浮かぶのでしょう。
その素直で純粋な心は、何よりのものです。だから、この時代の人とも心を通わせることができました。
古典は、違いを前提にするよりも、共通点を意識した方がいいと思います。それによって、普遍的価値が見えてくるからです。
また次の作品でお会いしましょう。準備のために少し時間をください。