嬉しきこと限りなし

十日、さはることありてのぼらず。
十一日、あめいさゝかふりてやみぬ。かくてさしのぼるにひむがしのかたにやまのよこをれるをみてひとにとへば「やはたのみや」といふ。これをききてよろこびてひとびとをがみたてまつる。やまざきのはしみゆ。うれしきことかぎりなし。こゝに、相應寺のほとりに、しばしふねをとゞめてとかくさだむることあり。このてらのきしのほとりにやなぎおほくあり。あるひとこのやなぎのかげのかはのそこにうつれるをみてよめるうた、
さゞれなみよするあやをばあおやぎのかげのいとしておるかとぞみる

十日、障ること有りて上らず。
十一日、雨些か降りて止みぬ。かくて差し上るに東の方に山の横居れるを見て人に問へば「八幡の宮」と言ふ。これを聞きて喜びて人々拝み奉る。山崎の橋見ゆ。嬉しきこと限りなし。こゝに、相應寺の辺に、暫し船を留めてとかく定むる事有り。この寺の岸の辺に柳多くあり。ある人この柳の影の川の底に映れるを見て詠める歌、
「細浪寄する綾をば青柳の影の糸として織るかとぞ見る」

さしのぼる:棹を使って川をさかのぼる。
よこをれる:横に臥し広がっている。
やはたのみや:石清水八幡宮。
ここに:さて。そこで。
とかくさだむることあり:あれやこれや相談し決定することがある。

問1「さだむることあり」とあるが、具体的には何を決めたと思われるか、想像して答えなさい。
問2「さゞれなみよするあやをばあおやぎのかげのいとしておるかとぞみる」を鑑賞しなさい。

コメント

  1. すいわ より:

    問一 いよいよ京が近くなって、この先、水路から陸路に移るのに車の手配をしたり、朝廷への報告に参じる用意、空けていた家の状態を整えておく指示などなど。また始まる京での生活の準備に心が踊った事でしょうね。
    問ニ 風にたなびく細い柳の葉が川面に写ると幾筋もの絹糸に見えて、川はさながら絹で織られた漣模様の綾のように見える。
    滔々と気持ちが広がって行くような印象を受けます

    • 山川 信一 より:

      問1 色々な相談がありそうですね。その中の中心は、やはり船をここで下りるかどうかでしょう。
      問2 川面にさざ波が立つ程度のかすかな風が吹いているので、柳の枝もわずかに揺れています。この微妙なバランスが綾織物を連想させるのでしょう。

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