六日、みをつくしのもとよりいでゝなにはにつきてかはじりにいる。みなひとびとおんなおきなひたひにてをあてゝよろこぶことふたつなし。かのふなゑひのあはぢのしまのおほいご、みやこちかくなりぬといふをよろこびて、ふなぞこよりかしらをもたげてかくぞいへる、
「いつしかといぶせかりつるなにはがたあしこぎそけてみふねきにけり」
いとおもひのほかなる人のいへれば、ひとびとあやしがる。これがなかにここちなやむふなぎみいたくめでゝ「ふなよひしたうべりしみかほにはにずもあるかな」といひける。
問 船君が老女の歌をたいそう褒めたのはなぜか、歌に触れつつ説明しなさい。
ようやく海から川に入った。もうこれからは、あの恐ろしい波に悩まされることが無くなった。京まではあとわずかだ。一行の喜びはこの上なかった。その時、例の船酔いの淡路の島のお婆さんが、都が近くなったと言うのを喜んで、船底から頭を持ち上げてこう言った、
「船旅の間中、一日でも早くそこに無事に着くことを願って気になって胸が晴れ晴れしなかった難波潟に蘆を漕ぎ押しのけて御船はいつの間にか来ていたことだなあ。」
たいそう意外な人が言ったので、(あんなにやつれ果てていたのにと)人々は不思議がる。その中に心労からの病気に悩む船君がこの歌をたいそう褒めて「船酔いをなさっていたお顔をにはまたく似てもいない優れた歌でありますなあ。」と言ったことだとか。
船君は、歌の出来に感心したのだ。それは、「御船」を主語とすることで、誰しもの喜びを見事に表していた。難波潟から河口に入ったことは、この上ない喜びだった。それを御船が蘆を押しのける様子を具体的に織り込んで歌っている。その様子が目に浮かぶようだ。「難波潟」を挟んで、心情と風景とが上下に分けて述べられている。その二つがまるで海と川の合流するかのように混ざり合っているように思える。実感に沿っていて、なおかつ技巧的にも優れている。
しかも、それを詠んだのは、自分と同様に体調を壊している老婆だった。船君たる自分こそ、詠むべき歌だったのだ。「そのお顔から察するにまだ体調が回復された訳ではないでしょう。よくもこれほど優れた歌を詠まれましたな。」といった思いから褒めたのである。(問)
コメント
心がこぼれ落ちるように歌が自然と紡がれたのですね、歌を「詠もう」としたのでなく。船君、歌を聞いてどんな薬よりも心が晴れたことでしょう。自身も歌いたくなるでしょうね。女の人は強い。
専女の歌は、真実の感動によるものであり、それを表す言葉も巧みです。これは、自分が歌を実際に作ってみると、実感できます。なかなかこういう歌は作れません。
こういう歌がとっさに作れるのですから、専女は大したものです。心掛けが違うのでしょう。このことを通して、貫之は、性別や身分などに関係なく、優れた歌は作れると言いたいのでしょう。
海から川に入ってきたのですね。すごいです。あと少しで到着しますね。
私も嬉しくなってきました。
みんなが乗っている船が近づいてくる情景が見えます。真実の感動の歌ですね。
歌とは高貴な人が読むだけではなく、庶民の暮らしの中にある、日常の素直な気持ちを読めばいいのだなあと、この土佐日記で学びました。
いろんな人が詠むものだよって貫之さんに教えられてる気がします。
嬉しかったり悔しかったり、楽しかったり、いろんな気持ちが入った歌がたくさんありましたね。
そうですね。貫之は『土佐日記』で、歌のあり方を示しています。貴族だけが狭い宮廷生活の中で捻り出すものではないと言いたいのです。
何よりまず日常の生活実感に基づいているべきであり、それゆえの技巧であると考えています。
和歌は、それを継承した短歌は、世界で最も短い人間ドラマです。