海の中の空

十七日、くもれるくもなくなりてあかつきづくよいとおもしろければ、ふねをだしてこぎゆく。このあひだにくものうへもうみのそこもおなじごとくになむありけるうべも むかしのをのこは「さをはうがつなみのうへのつきを ふねはおそふうみのうちのそらを」とはいひけむ。ききざれにきけるなり。またある人のよめるうた、
「みなそこのつきのうへよりこぐふねのさをにさはるはかつらなるらし」。
これをききてあるひとのまたよめる、
かげみればなみのそこなるひさかたのそらこぎわたるわれぞさびしき」。
かくいふあひだによやうやくあけゆくに、かぢとりら「くろきくもにはかにいできぬ。かぜもふきぬべし。みふねかへしてむ」といひてかへる。このあひだにあめふりぬ。いとわびし

十七日、曇れる雲なくなりて暁月夜いとおもしろければ、船を出して漕ぎ行く。この間に雲の上も海の底も同じ如くになむありける。肯も昔の男は「棹は穿つ波の上の月を 船は襲ふ海の中の空を」とは言ひけむ。聞き戯れに聞けるなり。又ある人の詠める歌、
「水底の月の上より漕ぐ船の棹に障るは桂なるらし」。
これを聞きてある人の又詠める、
「影見れば浪の底なる久方の空漕ぎ渡る我ぞ寂しき」。
かくいふ間に夜漸く明け行くに、舵取等「黒き雲俄に出で来ぬ。風も吹きぬべし。御船返してむ」と言ひて帰る。この間に雨降りぬ。いと侘し。

あかつきづくよいとおもしろければ:有明の月が目を奪うほどに美しかったので
うべも:もっともなことにも。全くその通りに。
昔の男:唐代の詩人賈島
ききざれにきけるなり:聞きかじっていたのだ。漢詩なので、女の立場から言う。
かつら:月に生えているという伝説の大樹。
かへしてむ:返してしまおう。「で」は意志的完了の助動詞「つ」の未然形。
わびし:気落ちして力が抜けてしまう感じだ。

問1「くものうへもうみのそこもおなじごとくになむありける」とは、どういう情景を言っているのか、説明しなさい。
問2 賈島の漢詩と二つの歌はどう対応しているのか、説明しなさい。
問3「かげみればなみのそこなるひさかたのそらこぎわたるわれぞさびしき」を鑑賞しなさい。
問4 なぜ「いとわびし」と言うのか、答えなさい。

コメント

  1. すいわ より:

    問一 穏やかに静まった水面はさながら鏡の如く空を映し、空と海の境界が溶け合って一つになったような情景

    問二 海に映った情景を反転させ真と捉えて水面を地として海の中(空)にある月に棹差す、棹にあたる手応えは月に生えている桂の木ではなかろうか?と歌っている。

    問三 水面に映った月は、まるで海の底にいるよう。一人、海の底に囚われて寂しかろう。空を見上げるように海の天井を仰ぐ月よ、お前の空を漕ぎ渡る私もまた一人寂しく行くのだよ

    問四 夜明け前、素晴らしく美しい情景に酔っていたが、夜明けとともに天気が悪くなり、船は返し、足止めという現実に連れ戻される。夢の時からも目覚めねばならない。侘しい。

    • 山川 信一 より:

      問1 その通りです。問2 問いの答えからズレています。漢詩との関係を問うています。 問3 海の底を行く月に触発されて、自分の孤独感を意識したのでしょう。答えの文意がやや取りにくいです。
      問4 その通りです。

タイトルとURLをコピーしました