いたづらにひをふれば

十五日、けふあづきがゆにず。くちをしくなほひのあしければ ゐざるほどにぞけふはつかあまりへぬる。いたづらにひをふればひとびとうみをながめつゝぞある。めのわらはのいへる、
「たてばたつゐればまたゐるふくかぜとなみとはおもふどちにやあるらむ」
いふかひなきものゝ、いへるにはいとにつかはし。

十五日、今日小豆粥煮ず。口惜しく、猶日の悪しければ、膝行るほどにぞ今日廿日あまり經ぬる。徒に日を経れば人々海を眺めつゝぞある。女の童の言へる、
「立てば立つ居れば又居る吹く風と浪とは思ふどちにやあるらむ」
言ふ甲斐無きものゝ、言へるにはいと似つかはし。

あづきがゆ:正月十五日に一年中の邪気を払うものとして食べる。
ひのあしければ:空模様(天気の具合)が悪いので。
ゐざる:座ったままで移動する。動きが遅いことを言う。
いたづらに:することが無くて暇なこと。所在無い様。
ながめ:ぼんやりと見ながら物思いにふける。
おもふどち:気のあった者同士。

問 女の童の歌の意を踏まえて、書き手が「いふかひなきものゝいへるにはいとにつかはし」という思いを説明しなさい。

コメント

  1. すいわ より:

    「風が吹けば波が立ち、風が吹かなければ海は凪ぐ。風と波は仲良しなのね」
    一月十五日、平安の世でどうだったか知らないのですが、小正月、女正月ですね。
    年末年始の慌ただしさから解放された女達がやっと一息入れられる時。なのに小豆粥も煮られない、あぁ、残念だこと(ただ“食べる”ではないあたり、きっちり書き手が煮炊きして食べさせる側、女目線になっていますね!)。そればかりか今日はお天気が悪くて船も進まず。出発して二十日余りにもなるというのにどうにもならず、ただ海を眺めるばかり。荒天を愚痴っても仕方がない。そんな時、子供が、「風と波はなかよしなのね、、」子供の真っ直ぐな目には波風もそう映るのか。せっかく歌うのなら、言葉にするのなら、余程その方が似つかわしい、と沈む気持ちを子供の無邪気な歌に慰められたのではないでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      「煮ず」に注目したところはさすがです。書き手が女であることをさりげなくアピールしています。貫之に抜かりはありません。抜かるとすれば、それを見落とす読者です。
      ここに限らず、細部にこだわりを持って書いているのに、見落としては申し訳ありません。これからも目配りを忘れないで行きましょうね。
      「沈む気持ちを子供の無邪気な歌に慰められた」に同感です。この状況にふさわしい歌でしたね。ただ、私は「いふかひなきものゝ、いへるにはいとにつかはし。」の解釈が少し違います。

タイトルとURLをコピーしました