日常の場における歌

十日、けふはこのなはのとまりにとまりぬ。
十一日、あかつきにふねをだしてむろつをおふ。ひとみなまだねたればうみのありやうもみえず、ただつきをみてぞにしひんがしをばしりける。かゝるあひだにみなよあけててあらひ、れいのことどもしてひるになりぬ。いましはねといふところにきぬ。わかきわらはこのところのなをききて「はねといふところはとりのはねのやうにやある」といふ。まだをさなきわらはのことなればひとびとわらふ。ときに、ありけるをんなのわらはなむこのうたをよめる、
「まことにてなにきくところはねならばとぶがごとくにみやこへもがな」
とぞいへる。をとこもをんなもいかでとくみやこへもがなとおもふこころあれば、このうたよしとにはあらねど げにとおもひてひとびとわすれず。このはねといふところとふわらはのつひでにて、またむかしのひとをおもひいでゝ、いづれのときにかわするゝ、けふはましてははのかなしがらるゝことは、くだりしときのひとのかずたらねば、ふるうたに「かずはたらでぞかへるべらなる」といふことをおもひいでゝひとのよめる、
よのなかにおもひやれどもこをこふるおもひにまさるおもひなきかな
といひつゝなむ。

問1「このうたよしとにはあらねどげにとおもひてひとびとわすれず」とある。
①なぜ「よしとにはあらねど」と言うのか、答えなさい。
②この日記には、ところどころにこのような歌の評が書いてある。ここからどういうことが考えられるか。
問2「よのなかにおもひやれどもこをこふるおもひにまさるおもひなきかな」この歌を鑑賞しなさい。

十日の記載から那波の泊の停泊したことがわかる。誰もが初めての船旅の疲れを癒やしていたのだろう。この日は特に他に書くこともなかった。
十一日は、夜明け前に出港する。人々はまだ寝ているので、海の様子も見えていない(夢の中にいる)。その中で、船頭は月を見て方角を知ったようだ。こうしている内にすっかり夜が明けて手洗いなどいつもの決まり事をして昼になった。
今まさに羽という所に来た。若い童がその名を聞いて「羽という所は、鳥の羽のような形をしているの?」と言う。まだ幼い子の言葉なので、人々は笑う。その時、あの返歌をした女の子がこの歌を詠んだ。「本当に名に聞く所が羽ならば、その羽に乗って飛ぶように都に帰りたいなあ」と言った。この歌は、表現に工夫がなく、思いをそのまま述べただけなので、いい歌とは言えないけれど、男も女も何とか早く都に帰りたいと思う心があったので、なるほどと思って心に残った。(問1①)時々、こうした評が述べられる。ここから、歌が生活の一部になっていて、歌を評する思いは誰にでもあったことが想像される。一方、的確な評によって、書き手が「紀貫之」であることを暗に示そうとしていたのかもしれない。(問1②)
この羽という所について聞いた幼子が呼び水になり、亡くした子を思い出すことになる。その子のことはいつになったら忘れるのだろうか。忘れることなどできない。まして、母が悲しむことは、土佐に下った時の人の数が減ってしまったことを殊更に意識したからだ。数が減ったということで古い歌を思い出して、ある人が次の歌を詠んだ。「世の中に思いを馳せても、子を恋しのぶ思いに勝る思いは無いなあ」この歌は、「思ひ」の繰り返しに工夫がある。思いが次第に募っていく感じを出している。(問2)歌い手は、こう言いながら胸がいっぱいになり黙ってしまった。そして、聞いている者たちも同様だった。

コメント

  1. すいわ より:

    船旅初日に松原の美しさに息を飲んだ旅人達、この日は幼子の稚い問い掛けに心和む。そんな中、娘を亡くした母はその姿に我が子の面影を重ねて悲嘆に暮れる。あぁ、土佐へ向かう時にはこんな悲しみが待ち受けていようとは思いもしなかった、帰りの旅路、同じ顔ぶれの中にあの子の姿がない、、筆舌に尽くし難い逆縁の悲しみ。ただ波の音だけが人々を包み込んでいきます。

    • 山川 信一 より:

      素敵な鑑賞ですね。その場の状況と人々の思いが伝わってきます。
      貫之の筆力にも改めて驚かされます。

タイトルとURLをコピーしました